川が空をひっぱっている
こまごまとした用事をすませて、
またメコン川の小さな町にもどってきた。
チェンマイという町から車できた道中は、道のわきにちょこっと家があって、ひろい水田があって、水路があって、ところどころにお寺があって、遠くに山があってという緑の景色がつづいていた。
川にだんだんと近づいてきたという予感みたいなものが、水田のむこうの山なみに感じられて、町に着くと、路地の向こうに流れる水の輝きが見える。
いっきに引き込まれる。
そこにただよう密度の濃い空気に飲みこまれる。
やっぱりこの川はすごい。
もしかしたら、
川の流れがあまりにもすごいから、ここでは空間がゆがんでいるのではないか?
と、思ってみることにする。
勢いよく流れる大量の水が、いろんなものをひっぱってしまっているのだ。
たとえば重力とか。
川べりで空を見上げたときに地面から足が離れそうになる錯覚は、錯覚ではなかったのかもしれない。
もしかしたら、
それは時間までもひっぱっていて、時間の流れるスピードも他の場所とはちがうのかもしれない。
ついにアホなことを言いだしているかもしれない。
けれど、
いつかアインシュタインくらいの天才が証明する可能性があるから、そっちに賭けてみる。
この川の美しさには、まだ説明のつかない神秘がぜったいにある。
お茶の味にもそういう神秘がある。
つまらない凡人の研究でお茶を不味くするなと言いたい。
天才しか必要とされないのは、なにも芸術の世界だけじゃない。
そんなことを考えたということさえ、
あっというまに川に流されて、どうでもよくなって、
お腹が空いたからごはんを食べにゆくとする。