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茶教室・京都

自由の布

渡し船に自転車を積んでタイからラオス側へ川をわたり、
そこから20キロほど奥へ行ったところにある布づくりの村を訪ねた。

メコン川を渡る船


布はすべて手づくり。
畑で綿花を育て、糸をつむいで、はたを織り、草木で染めて、川で洗って乾かしてというゆっくりつくられている布。その布の民族衣装やバッグもまたすべて手縫い。ミシンなどないのだ。

ラオスの村

綿花から糸をつむぐ

機織り

ラオスの村


西双版納の古茶樹のお茶づくりと同様に、半自給自足生活をする山の人たちだからこそできるやり方で、やがてこういう仕事は消えてゆくだろう。実際に10年か20年くらい前まではラオスまで行かなくても、タイの田舎にも西双版納にもこういう布づくりがあったのだ。
自分たちで米をつくり野菜をつくり家畜を育て、山で勝手に暮らしてゆける人たち。家にはテレビも冷蔵庫も洗濯機もない。国はこのように経済に参加しない人たちを、経済に参加させたがっている。貧困救済という大義名分がある。
ラオスの布づくりの村でもすでに一家に一台バイクくらいはあり、電線が引かれて電燈がつき、最近それに携帯電話が加わったので、お金が要るようになってきて、布づくりもだんだん忙しくなっている。

ラオスの村


そこでこの布、商品としてどうだろうか。
価値に見合った魅力はあるのだろうか?そう考えると微妙なところなのだ。
綿花から糸をつむいだり、手しごとの機織りをしたり、化学染料を使わずに草木を採取してきたり、膨大な時間をかけてほんの少ししかできない布は、あまりにも効率が悪くてコスト高になる。すべてが機械生産になった布との価格競争力がない。
すでに多くの村が糸を工場から買うようになり、化学染料で染められた既製品を買ってきて手縫いするだけになっている。観光地のお土産屋で売られている民族工芸品がそうだ。
品質的に、機械生産の布とほぼ同じ性能しかなくても、ラオスのこの村の布は5倍も6倍もの値段になる。
この値段はいったいなにか?
見た目の味わい?質感のちがい?
それだけに5倍も6倍ものお金が払えるのか?
それともこんなつくり方をしている村は世界では少なくなったから、博物館みたいな希少価値があるというのか?
そんなふうに説明できる価値は、はっきり言ってないだろう。
じつにこの布も当店のお茶づくりと似たような問題をかかえている。
だから好きになった。大好きだそういうの。

畑

川

ラオスの村

ラオスの布づくり


この布で、まずは餅茶を入れる袋をつくることにした。
それなりの値段になるし、売れるわけがないし、それ以前に餅茶を買う人が少ないわけだけれど、つくってしまうのだ。
われわれは自由人だ。すきなやり方で好きなものをつくる。
経済の論理など通用しないのだ。
最悪、それで食べてゆけなくなったら、自分たちで米をつくり野菜をつくり家畜を育て、山で勝手に暮らしてやる。映画『地獄の黙示録』のカーツ大佐みたいになってやる。
スーパーマーケットで売っているような機械生産の加工食品を買うためにあくせく働くなんてまっぴらごめんだ。消費社会の家畜にはならないし、人を家畜扱いするような商品はつくらない。

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茶想

試飲の記録です。
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