ゴールデントライアングル
春のお茶づくりに沸くこの季節。
ラオスの山がすぐそこの丁家老寨には出稼ぎの人が山を越えて来て、小さな村の人口は2倍になる。国境のゲートもパスポートも無い。山を歩いてくるだけのゴールデントライアングルの人々。
もともとこの地でお茶づくりをしていた瑶族やダイ族の人々で、話す言葉はダイ族語(西双版納州はダイ族自治州。タイ国の北部の人々とつながりがある。)と漢語。だから話はわかるし、そもそもお茶に詳しいから仕事場でなにをするべきかわかっている。
毎年知った顔が来るが、ときどき新顔も混じる。
新顔を見つけた農家はどんなに忙しくても食事に誘って交流する。
たっぷりご飯を食べさせて、まず飢えた人をなくす。
「ラオスのどの村から来たの?」
「だれと親戚?」
「今晩寝る場所はある?」
そんな話をすることで、知らない人から知った人になる。
知らない人のままではモノを盗んで逃げるかもしれないけれど、いったん知った人になると見えない力が働く。それでお互いに逃げにくくなる。
こうして派出所もなにもない辺境地の村の治安が維持されるのだろう。
そして、お茶づくりというひとつの目標に向かってゆるい連帯感が生まれてゆく。
農家が茶摘みに山に上がって、
ひとりで残って作業していたときに、
瑶族おばあちゃんがふらっと近づいて話しかけてきた。
(上の写真の人で、ダイ族風の服を着ているが瑶族の人。)
方言の強い中国語でほとんど聞きとれないけれど、なにを言っているのかわかった。
「この茶葉はね、ちょっと火入れが足りないね・・・」
「殺青の後の茶葉をこうやって冷やすんだよ。」
しばらく一緒に作業をしてから、元来た道を戻って行った。
おばあちゃんにとっては新顔の僕を、危険な人物じゃないかどうか確かめたのかもしれない。出稼ぎに来ている中には年頃のかわいい女の子もいるから。
昨年の2012年の領土問題勃発で、
雲南省西双版納の長期滞在は危ないと思って、
バスで1日で移動できるタイの東北部に生活拠点をつくろうとしている。中国、タイ、日本と、3つの国での生活がはじまって、そうすると、外と内との2局という感覚がだんだん薄れてきた。
日本に住んでいた時は、「海外」という言葉に特別ななにかがあった。上海に住んだ時は、内と外の2つの違いをうまく使い分けようとした。しかしそれが3つになると、どこが外で内なのか?ということになる。
僕の中から領土問題は消えた。
遠い国の問題などを考えている暇はない。
今生きている、ここの状況、ここの生活、ここのしきたり、ここの人間関係、ここの治安、ここの経済。
ゴールデントライアングルの人々が妙に老練な感じがするのは、この自律した感覚を持っているためかもしれない。国は外側にではなく内側にちゃんとある。たとえそれが国連で認められていなくてもかまわない。
日本人の国の意識ってどうなのだろう。
福島の原発が怖いことになった2011年に、日本の実家に帰ったときに母に言った。
「僕は西双版納やタイの東北部で、気候も良くて食べ物も安くて過ごしやすいところを見つけたから、もしも日本がダメになっても老後の心配はない。」
そしたら母はきっぱりと言った。
「外国なんて行かない。あんたみたいにひとりだけで逃げるようなことはしない。近所の人たちが飢えて死ぬなら私も飢えて死ぬ。」
立派だ。
しかし、それはつまり、もしも近所の人たちが大挙して逃げることになったら一緒に逃げるということであって、最後のひとりになる決意じゃないよな・・・。
ゴールデントライアングルの人になりかけている僕は今、ちょっと冷めた目でそう見ている。