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茶教室・京都

下関甲級鉄餅05年 その1.

製造 : 2005年
茶葉 : 雲南省臨滄茶区大葉種喬木晒青茶ブレンド
茶廠 : 雲南大理下関茶廠
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 餅茶
保存 : 昆明 紙包み
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : 小さめの蓋碗
下関甲級鉄餅05年プーアル茶
下関甲級鉄餅05年プーアル茶
下関甲級鉄餅05年プーアル茶

お茶の感想:
少し前まで販売していたお茶。
「鉄餅」というのは、金型で強く圧延されたタイプの餅茶。
独特の苦い風味がある。もともとはロシアに売ろうとしていたらしい。サモワールで煮出したようなお茶にジャムを混ぜて、カクテルティーにでもしたのだろうか。
1950年代の初代「鉄餅」を扱ったことがあった。
【早期藍印鉄餅50年代】
餅茶に圧延加工する工程で、晒青毛茶(天日干しで仕上げられた緑茶)を、高温の蒸気でいったん柔らかくする。鉄餅の場合はそこでしっかり柔らかくする必要があるから、深蒸しになる。それが独特の苦い風味となる。
下関茶廠の生茶は鉄餅にかぎらず、「沱茶」・「磚茶」・「緊茶」のいずれもがしっかり蒸して固めてある。なので共通した風味があると思う。最近のはかなりソフトになっているが、1990年代前半まではハードだった。
数年熟成するとなぜかドラフルーツの杏子やプルーンのような甘酸っぱい香りが出てくる。お茶のお茶たる苦味と穀物のようなふくよかな甘味。香りと味のギャップに面白みがあるのだろうか。
下関甲級鉄餅05年プーアル茶
下関甲級鉄餅05年プーアル茶
・・・実はこれが個人的には苦手なのだ。
1980年代の鉄餅の銘茶があるけれど、これもあまり飲まない。
【83鉄餅プーアル茶】
だだし、ひとつだけ鉄餅じゃなくちゃならない味覚がある。
アルコール度数40度以上の酒、焼酎でもウィスキーでもウォッカでもよい。鉄餅のお茶をチェイサー代わりにして飲む。ぜったいに割っちゃいけない。酒をひとくちキュッとやって、お茶をひとくちキュッとやる。この繰り返し。
これは鉄餅のお茶じゃないとダメなのだ。易武のように美人でもだめだし、烏龍茶のような厚化粧はもっとダメ。

ひとりごと:
『ヤクザが店にやってきた』 宮本照夫著
(―暴力団と闘い続けた飲食店経営者の怒濤の日々)
なぜかこんな本を読んだことがある。
この中で、ヤクザの親分と主人公である筆者が、一対一で静かに酒を飲むシーンがあったと思う。ふたりともなにも話さないのに、なんとなく通じている感じが味わい深かった。
自分の思い出では、ずいぶん前に四国の足摺岬を旅した時に釣り宿でいっしょになった親分。晩御飯の席で食べものの話で意気投合して、いつのまにか人生の話になって、親分は僕の来た道のことを静かに聞いて、親分の来た道のことを静かに語った。周りは宴会でガヤガヤしていたけれど、静かなよい酒だったなあと、なぜかときどき思い出す。
たぶん、僕が親分だったらやっぱりそうしたと思うし、親分が僕だったらやっぱりそうしたと、お互いに思ったのだろう。
西双版納
西双版納
まだどんよりしている西双版納。

丁家老寨青餅2012年 その11.

製造 : 2012年4月
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山(旧易武山)丁家老寨古茶樹
茶廠 : 農家+漫撒工房
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 餅茶
保存 : 西双版納 紙包み 竹皮包み
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : 小さめの蓋碗
丁家老寨青餅2012年プーアル茶

『丁家老寨青餅2012年』は「隠」の味?
先日の試飲でそれが気になったので、今日は餅茶を崩してみた。
【丁家老寨青餅2012年プーアル茶】
やはり同じ。
香りが立たない。味がしない。
でも、ここで焦ってはいけない。
いつものように淡々と淹れる。
香りは、蓋碗の蓋の裏にある。飲み干した杯の底にある。吐く息にずっとある。
味はちょっとの間をおいて、冷めてゆく湯の中に沸いて出てくる。口の中であふれる。
このことを知らないで、香りと味を立てようと頑張ると、濃くなりすぎてエグ味が出て台無しにする。
もしも、飲む人が気付きそうになかったら、隠れた香りと味を探してみるよう伝えて、集中してもらわなければならない。
いちど見つけたらカンタンで、次からはすぐに見つかる。身体が有ると知っているから、粘り強く探し出してくれる。
丁家老寨青餅2012年プーアル茶
丁家老寨青餅2012年プーアル茶
丁家老寨青餅2012年プーアル茶
『丁家老寨青餅2012年』にはこの傾向が強いが、易武山の古樹のお茶には多かれ少なかれ「隠」の味がある。なんらかの成分が香りや味を一瞬にして隠す。あるはずの香りや味を探して、軽く脳がゆれる。そこに生まれる空白こそが、易武山が世界のお茶好きに知られる導火線になったと思う。
しかし、この味覚に出会えない人もたくさん居ると思う。

ひとりごと:
上海で「臭豆腐」の味を知った時に同じような体験をした。
はじめの3回はほんとうに我慢して口に運んだ。どうにもこうにも腐敗臭だし、味もイカレている。珍味系のものは好きで日本では鮒鮓も好物だから、わからないはずがないと思っていた。
あんがいその「知っているつもり」が邪魔をしたかもしれない。
臭豆腐
わかったのは4回目。
ウソだろ?と思うくらい美味しかった。
次の日からいろんなレストランや屋台で毎日のように食べた。確かめるように食べた。しかし、いったん知ってしまうと、芳しさと旨さだけが感じられて、腐敗臭もイカレた味も消えてなくなる。
ふりかえってみると、自分に「知っているつもり」がなかったら、1回目から美味しく食べられたかもしれない。
いったいどれだけ多くの人が「知っているつもり」のために新しい味に出合えないでいることだろう。老茶の美味しさもそうだし、当店のお茶もそうなのかと思うとゾッとする。
しかし、まあ、いいかと思う。
もしかしたら臭豆腐を3回目であきらめて、「あんなものは美味しくない」と吹聴したかもしれない。けれど、自分には4回目があった。それは実力ではなくて偶然。「運」というか「縁」だった。

易武老散茶B1960年代 その2.

製造 : 1960年代 (推定)
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県易武山麻黒村古茶樹
茶廠 : 孟海茶廠(国営時代)
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 散茶
保存 : 香港ー広州ー上海 紙包密封
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : 小さめの蓋碗
易武老散茶B1960年代プーアル茶

お茶の感想:
半日だけ晴れてまた雨。
雨音を聞くのが楽しい。
ふと思い立って老茶を飲んでみる。
以前に飲んでいたこのお茶。
【易武老散茶B1960年代】
易武老散茶B1960年代プーアル茶
易武老散茶B1960年代プーアル茶
易武老散茶B1960年代プーアル茶
前回に思ったよりも美味しい。
小豆風味で甘いながらもスッキリしている。
ツンとした樟香のスパイスが効いて、生茶の鮮味を主張している。
じっくり茶葉を見て、飲んでみて、このお茶はたしかに1960年代のものだとわかった気がする。ちょっと濁りがあるけれど、それがこのお茶。1960年代のお茶として評価をするべきだった。1950年代ともちがうし、1970年代ともちがう。なぜなら、農家でつくる晒青毛茶(天日干しで仕上げる緑茶)の仕上がり具合が違ったのだから。
いろいろ細かな点で気付きがあるけれど、それは言葉にせずに、お茶づくりに折り込んでゆきたい。

ひとりごと:
昔に読んだ本をパラパラ見ていたらこれが目にとまった。
『実録アヘン戦争』 1985年 陳舜臣著 
漫撒古樹青餅2013年・青印プーアル茶
アヘン戦争の舞台となった「茶館」は、映画に出てくるような貧民窟ではない。
「食」も「酒」も「セックス」も、そしてある種の「薬草」も、全国各地から手を尽くして取り寄せた上等の集まる娯楽の殿堂だった。金で買えるすべての快楽がある。(そうじゃないとイギリスがぼろ儲けできないよなあ。)
その時代の茶館を見たことのない自分には、映画『千と千尋の神隠し』にでてくる油屋のイメージが近い。
茶館にはすごいお茶が集まったことだろう。
欲のうずまく混沌の濁りに一点の静謐が輝く。そんなお茶。
快楽に溶けてゆく幸せな身体とは裏腹に、心はなぜかどんより沈みだす。どろどろになりかけたところにツヤツヤの熱い液体が口にひろがり喉をとおり腑に落ちてゆく。精神の洗われる瞬間に、それまでの汚れも罪も、すべてが意味あるものに思えてくる。
「お茶に救われた・・・」
と、どれだけ多くの人が茶館でつぶやいたことだろう。
異常なまでの執念で製茶に磨きをかけたお茶が今も残っている。なぜそこまで求めたのかを理解しようとおもったら、昔の茶館で乱れてみるしかない。

易武春風青餅2011年 その4.

製造 : 2011年12月(采茶3月)
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県易武山麻黒村大漆樹古茶樹
茶廠 : 農家+孟海の茶廠
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 餅茶
保存 : 西双版納 紙包み
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : 小さめの蓋碗
易武春風青餅2011年プーアル茶

お茶の感想:
長い雨。
一週間は続いていると思う。
太陽が真上にくる昼間だけ青い空が見えた日もあった。
けれどまたすぐに厚い雲が覆いつくして、アパートの窓のすぐそこまで伸びた椰子の葉を雨が叩く。パラパラ、サワサワ、ザーザー、シトシトといろんな音を出す。
秋茶の旬なのに山にゆけない。ぬかるんだ山道を滑ったりコケたりしながら無理に行っても、茶葉が濡れていては製茶ができない。
一日中部屋にこもって、食事のときだけ近所の食堂へゆくか市場に買い出しにゆく。
はじめの3日間くらいはなるべく有意義に過ごそうとしてみた。部屋の掃除をしたり、倉庫の整理をしたり。ところが4日目になると有意義なこともなくなる。時間が空く。雨が浸みてくる。
熱帯雨林の秋の雨。
なぜか空気はサラサラしていて、湿度計は73度以上にならない。気温24度くらいで寒くもなく暑くもない。こんなに気持ちのよい雨はめったにないと思うと嬉しくなってくる。
雨の日を味わうこのお茶。
+【易武春風青餅2011年】
易武春風青餅2011年プーアル茶
易武春風青餅2011年プーアル茶
美味しいとか美味しくないというのは誰にでもわかる。
日頃から使っている能力で十分わかる。
しかし、それを越えたところの感覚があると思う。お茶の味にはそれがあるのだ。
例えば、
ある種の風味に水墨画のような景色を見てしまったり、
なにもない空白に実際よりも鮮やかな色彩を見てしまったり、
どこか懐かしい芳香に自分の中のまだ知らない自分の存在を感じたり、
お茶の山に吹く風と同じ風がその土地を知らないで飲む人にも感じられたり。
うまく言えないけれど、いつもは使わない潜在的な能力が働いている。過去の自分の経験を思い出しているのではなく、もっと遠い先祖の記憶にアクセスしている。
雨の日のお茶の味わいにざわめく感覚には、なにか意味があるのだろうか。

ひとりごと:
易武山のお茶の歴史には何カ所かの空白がある。
最近そのところが見えてきたような気がする。
易武山昔の餅茶
易武山昔の餅茶

丁家老寨青餅2012年 その10.

製造 : 2012年4月
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山(旧易武山)丁家老寨古茶樹
茶廠 : 農家+漫撒工房
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 餅茶 (サンプル散茶)
保存 : 西双版納 紙包み 竹皮包み
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : 大きめの蓋碗
丁家老寨青餅2012年プーアル茶
丁家老寨青餅2012年プーアル茶
丁家老寨青餅2012年プーアル茶

お茶の感想:
午前2時に眼が覚める。
二夜連続でお茶している。
季節の変わり目に身体のリズムが崩れたのだろう。
夜はどういうわけか、飲みたいお茶も違えば、昼との味わいも違う。
夜の光。夜の気配。夜の空気。夜のもの音。夜の身体。夜の思考。
プーアール茶は「陰」のお茶。
そんなに薫り立つわけでもないし、鮮やかな花に例えるほどの華やかさはない。青茶(烏龍茶)を「陽」とするなら、たしかに生茶は「陰」の味。
底からじわじわとくる滋味。外側からではなく内側から吐く息に薫る香り。しんとした夜にこそ、そのかすかな声に耳をかたむけられる。夜の静かな部屋には、一瞬で気を惹くような華やかなお茶はうるさすぎる。
夜に手が伸びるのはこのお茶。
【丁家老寨青餅2012年プーアル茶】
丁家老寨青餅2012年プーアル茶
今回はこのお茶をつくった際に取っておいたサンプルの散茶2種を試した。
ひとつは、春の旬の終わりごろにやっと芽を出す大きな茶樹2本だけから採集したもの。これを「A」とする。
もうひとつは、茶樹はとくに選んでいないから、小さめのものが多くて、中には大きいのも混じる。これを「B」とする。
「A」に湯を注いだときに気付いたのだが、香りが立たない。香りがないのか?と思うほど茶の香りがしない。湯が熱くなかったかな?と疑ったが、そんなことはない。ちゃんと熱いし、茶器もしっかり温めた。
「B」に湯を注いだ時には香りが立った。
やはり、若い茶樹のほうが香りが立つのだろうか。
どちらにしても、この数日は個性的な香りのお茶を立て続けに飲んでいて、『丁家老寨青餅2012年』は久しぶりになるから、おとなしく感じる。
口が慣れていないのだろうと思って、しばらく「A」と「B」を交互に飲んでいた。やはり「B」のほうがわかりやすい。そう思っていたら突然に来た。「A」のほうに来た。
鮮やかな色彩が口の中に広がってゆく。とどまることなく無限に広がる。吐く息ごとに香りが増してゆく。
嘘だろう?
湯はすでに冷めてきている。
もういちど熱い湯を沸かして、次の煎を淹れて、確かめるようにして飲んでみる。
やはり香りが立たない。どんなにじっくり抽出しても同じ。しかし、ひと呼吸おいてから口に含むと、また広がる。薫る。こんどは石鹸のような、お茶とは違う香りが薫る。
プーアール茶は「隠」のお茶?
丁家老寨青餅2012年プーアル茶
次の日、もういちど「A」を確かめてみる。
やはり香りが立たない。でも、もうわかっている。そっちの問題ではなくてこっちの問題。昼の明るい時でも、いろんな音がにぎやかでも、心が静まれば広がる。薫る。聞こえてくる。
ところで、
「A」と「B」の違いが、なぜか今ふとわかったような気がする。
製茶でもない。樹齢でもない。おそらく品種の違いだ。
古く大きな茶樹はずっと以前からこの山にあった在来品種。小さな茶樹に多いのは、おそらく清代になってから持ち込まれた新しい品種。およそ200年前のその時に、この辺りの山には大きな変化があった。200年後の今になってその違いがお茶の味に現れる。
お茶づくりは百年の計。

ひとりごと:
そういえば上海ではよく深夜にお茶していた。
上海は夜。
JAZZBARをはしごしたり、夜中に火鍋をつつきに行ったり。
深夜に帰ってもすぐには眠れないので、お茶をいっぷくする。
ひとりのときもあれば、友人といっしょのときもあった。
上海市内ならどんなに遠くてもタクシーに乗って数百円で帰れるのだから、みんな遠慮なくうちに来た。平日も休日もない。昼も夜もない。ノンストップで上海と付き合っていた。
上海の茶室
茶室はフランス租界の静かなエリアを下に眺める20階にあった。そのへんには感じのよいカフェがいくらでもあったけれど、うちの茶室が最高だった。
ぼんやりした灯りをつけて、格子戸の向こうの高層ビルの点滅や、遠くの幹線道路に流れる車のライトを見る。
湯を沸かして茶を淹れる。
チベット寺院のお香を焚くこともあった。
お茶は、そのときはまだ老茶しか扱っていなかった。
だいたいきまってこのお茶。
【沈香老散茶50年代】
友人と明け方まで語り合ったこともよくあった。けれど、何を話したのか覚えていない。
他愛のないこともあったし、人生の話もあったのだろう。
そんなことよりもたぶん、上海に静かな夜があるということが、僕らには特別に上等だった。
上海にいる人も、東京から来る人も、香港から来る人も、これをいっしょに味わった。

臨滄古樹圓茶2003年 その1.

製造 : 2003年
茶葉 : 雲南省臨滄茶区古茶樹
茶廠 : 臨滄茶廠
工程 : 熟茶のプーアル茶
形状 : 餅茶
保存 : 西双版納 紙包み 竹皮包み
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : 大きめの蓋碗
臨滄古樹圓茶・プーアル熟茶

お茶の感想:
店長失格。
案の定というか、選りすぐりにしたら出品が間に合わない。
どんどん品数が減ってゆく。
そんなに簡単にいいお茶なんて見つからない。本音のところ。
新しい品がいろいろ入るのはお店の魅力のひとつ。その魅力のない店は客足が途絶えて在庫が残るという悪循環に陥る。
ま、いいだろ。
変わりたいのだ。
その結果が良くても悪くても変わらないよりまし。
ひとつ良い兆候がある。
品選びは店長に任せておけばよいのだから、お客様は受け身になるのかと思っていたら、その逆だった。
「なぜあの品を引き上げたのか?」
「なぜあの品は仕入れることにならないのか?」
過去にはあまりなかった声がとどく。
品選びを主張すると、お客様の主張も増えた。
綱引きの力がつりあっている感じがする。
もしかしたら、みんないっしょのことを考えているのかもしれない。
どういうのを良いお茶とするかはいろいろだけれど、
お茶の知恵が見つけられるようなお茶が欲しい。今の時代にそういう知恵が埋もれているのは、生産者だけの責任ではない。現在の人の知識の在り方とか、生活とか、世界観とか、もっと大きなところがベースにある。
たぶんそこを変えたいのだ。
というか、自分自身が変わりたいのだ。
お茶だけが変わるなんて都合が良すぎる。生産者も、流通業者も、消費者も、みんなが結託して自分たちの利益を追求して、お茶だけに変わってもらう。
そんなのはもうヤメ。
ときにはお茶の個性を理解するために歩み寄る努力を要する。専門用語みたいな他人の言葉ではなく、自分の言葉として身体で理解する。お金を払ってそこまでしなければならない面倒なお茶。それが我々には必要なのだ。
なにのために必要かというと、この星の王様である植物の言葉を理解し、自分の中にある自然と向き合うため。
さて、今日は昨日売り切れたこのお茶。
『臨滄古樹圓茶・プーアル熟茶』
臨滄古樹圓茶・プーアル熟茶
臨滄古樹圓茶・プーアル熟茶
いまいちど紹介文章を読み直したらむちゃくちゃだった。
ここに改めて紹介しておこうと思う。
1956年創業のメーカー「臨滄茶廠」の製造。
当時は専売公社制だったので、臨滄茶廠は国営貿易会社の下請けで東南アジア向けのお茶をつくっていた。マイナーで有名銘柄は少ないが、1987年代〜2003年にかけてつくられた『銀毫沱茶』は香港・台湾の老茶ファンに人気が出てそれなりの価値がついた。
2004年民営化後はいくつかのメーカーに分かれてこの「銀毫沱茶」銘柄を引き継いでいるが、たぶんこれも多くのお茶と同じように国営時代のときのほうが良いお茶だったはずだ。
『臨滄古樹圓茶』の製造年がはっきりしないので、当店は2003年と推定したが、2002年という話もある。2004年に同銘柄の品が出ているけれど、包み紙の印刷に違いがある。
茶葉はしっかり厚みがあり、茎が太く、ほんとうに粗い。もみ殻などの混入物が混じる昔ながらの農家のお茶。茶馬古道の時代にチベットやネパールやインドの高原の遊牧民に運んでいた生活のお茶。
このタイプのは、熟茶の第一号を1973年に出品したメーカー「昆明茶廠」(昆明第一茶廠)のものに多く、当店の過去に扱ったなかでは『7581雷射磚茶』が似ている。
【7581雷射磚茶プーアル茶88年】
風味もちょっと似ているところがあった。
焼き芋の焦げた皮の味。墨汁の香り。
茶葉は真っ黒に変色している。焦げというより炭っぽい。
最近の熟茶製品にこの風味が少ないのは、ここまで粗い茶葉を使わないこと。粗い茶葉のもつ栄養が発酵の仕上がりを変える。それを圧延する場合、粘着力がほとんどないので、しっかり深蒸ししてから機械の強い力でプレスすることになる。この深蒸しが長期熟成を経て、焼き芋の焦げを墨汁風味にしてゆく。その黒の成分に知られざる薬効があるような気がする。
臨滄古樹圓茶・プーアル熟茶
赤味の強い透明感のある水色と同じように、クリアーな風味。
(個人的にちょっと風味が薄いような気がしたので高い評価を与えなかった。)
熟茶は長期熟成させるほどにクリアーになってゆくから、現在の孟海県の茶葉でつくられる濃い熟茶風味に慣れた人には物足りなさを感じるかもしれない。
売切れとなったが、西双版納の個人の手元にまだ14枚あるので、欲しい方はご相談ください。ただし、価格は8,500円一枚だったのが10,000円になると思います。

ひとりごと:
革登山の写真ページをアップした。
+【革登山 古茶樹 写真】
ちょっとでも雰囲気が伝わればよいと思う。
山の形、河の流れ、植物の様相、漂う空気、森の気配、茶樹の枝ぶりや葉の形。
むかしむかし。
茶が世界の飲料となるもっとずっと前の、まだこの辺りの山の民族しか茶を知らなかった時代。瑶族(ヤオ族)は川を見て、山を見て、
「この上にはお茶がある。」
というのがわかった。
山に登ってゆくと、涼しくなって、森の様子が違ってくる。植物が変わってゆく。
それを見て、
「あのへんの斜面には甘いお茶がある。」
というのがわかった。
革登山に訪問したときにこんなことを想像した。
今回の訪問は、現地の農家に知り合いがいないので、いきなり山へ行った。どこに古茶樹の森があるのかもわからないので、ほんとうにこんな感じで、あのあたりかなあという山道を上がって見つけた。
森の中に人の声がするので、近付いてゆくと、少年たちが高い木に登って酸っぱい果物を採っていた。
木の上に人がいる
(木の上に人がいる。)
その後に、村に一軒だけ茶農家を見つけて、近くの古茶樹の森を紹介してもらった。秋なので下草が茂っていた。足元から爽やかな香りが漂うので、よく見たら、ミントの葉の絨毯を踏んでいた。
ミントの絨毯

巴達古樹青餅2010年 その19.

製造 : 2010年4月
茶葉 : 雲南省西双版納州孟海県巴達山曼邁寨古茶樹
茶廠 : 農家+孟海の茶廠
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 餅茶
保存 : 西双版納紙包み+竹皮包み
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : 大きめの蓋碗+小さめの蓋碗
巴達古樹青餅2010年プーアル茶
巴達古樹青餅2010年
巴達古樹青餅2010年プーアル茶

お茶の感想:
大きめの蓋碗が好評なので、同じ形でサイズの小さいのを窯元にオーダーしている。
サンプルが上がってきて西双版納に届いたので、早速テストしてみた。
最近めっぽう美味しいこのお茶。
+【巴達古樹青餅2010年プーアル茶】
巴達古樹青餅2010年プーアル茶
左が「大」で右が「小」。
写真で見るとほんのひとまわりの差。
「小」より「大」のほうがちょうど1.5倍水が多く入る。
ところが、お茶を淹れるとこの差が大きい。すごく大きい。
念のため茶葉の量もちゃんと測って、大:3.0g、小:2.0gにした。
巴達古樹青餅2010年プーアル茶
お茶淹れは、ほんのちょっとの差が味を大きく左右することがあると思う。
もしもこの2つをブラインドで試飲したら、
「左のほうがいい茶葉だなあ。」
なんて知ったようなことを言って赤っ恥をかいただろう。
大きめの蓋碗のほうが美味しく入るのは、湯の量が多いので温度が下がりにくいため。杯をくちびるにつけると「大」の蓋碗のお茶は熱いと感じる。「小」のほうはぬるいと感じる。それほど湯の冷めるスピードに差ができる。
お茶にはある温度以上だけに香る成分がある。
小さめの蓋碗でじっくり時間をかけて抽出すると、甘味は出るけれど、どうしても途中から温度が下がるので、その香りが立たなくなる。
このお茶でいう「その香り」とは、抹茶のような香りにそれを通り越して石鹸のような華やかさが波のようにかぶさってくること。
試しに、小さめの蓋碗でじっくり抽出したのを杯に注いで、そこへ沸きたての熱い湯を足してみたら、見事に香りが立った。
そうすると、大きめの蓋碗のほうが良いということになる。
・・・・ところがそうじゃないのだ。
版納古樹熟餅2010年プーアル茶
ちょうど2ヶ月ほど前に台湾茶人の人が『版納古樹熟餅2010年』を大勢の人に淹れたことがあった。そのときなぜか小さめの茶壺を使った。大きめの茶壺もあったのに。
写真のようにすべての杯に一度に注ぎきれず、湯を足して足して杯を満たしていった。
なぜそうしたのかわからなかった。
それが今わかった。
小さめの茶壺で熱い湯を足して足して注いだほうが冷めないのだ。
例えば、大きめの茶壺でいっきにみんなの杯に注ぎきったとしよう。ひとりひとりは飲むスピードがちがうので、最後の一人が飲み終わるのを待っていたら、茶壺も茶葉もいったん冷めてしまうことになる。しかし、小さめの茶壺なら、飲み終わった人の杯から次々と注ぎ足すために、常に熱い湯を茶壺に注ぐことになる。茶壺も茶葉も、そして杯も冷めないから、薫り立つお茶が飲む人の口に届く。何杯でも届く。
小さめの茶壺にしても蓋碗にしても、ちょこちょこ手間のかかる動作となるけれど、そこに隠し味がある。

ひごりごと:
巴達古樹紅餅2010年紅茶
巴達古樹紅餅2010年紅茶
『巴達古樹紅餅2010年紅茶』も淹れてみた。
やはりこれも1煎めは大きめの蓋碗のほうがふんわり甘くなる。小さめのは渋味が出る。
しかし、間を置かないで2煎3煎と立て続けに熱い湯を注いで淹れると、どちらもふんわり甘くなる。
小さめの蓋碗の出品はあと3週間ほど・・・かな。

巴達古樹青餅2010年 その18.

製造 : 2010年4月
茶葉 : 雲南省西双版納州孟海県巴達山曼邁寨古茶樹
茶廠 : 農家+孟海の茶廠
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 餅茶
保存 : 西双版納紙包み+竹皮包み
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : 小さめの蓋碗
巴達古樹青餅2010年プーアル茶
巴達古樹青餅2010年プーアル茶
巴達古樹青餅2010年プーアル茶
巴達古樹青餅2010年プーアル茶
巴達古樹青餅2010年プーアル茶

お茶の感想:
製茶場の自然環境がお茶の味を変える。
いや、つくると言えるところもある。
製茶場の、湿度・温度、気圧、流れる風、太陽と雲、一日の変化、そして季節。
製茶場は山にあり、山にはそれぞれの気候・環境があるから、製茶場にもまた山ごとの地域特性があることになる。そのすべてはお茶の味の個性につながっている。
製茶工程の「萎凋」(摘みたての鮮葉を陰干しで萎れさせて甘味を引き出す)や、「晒干」(殺青・揉捻をした後、次の日に天日干しで乾燥させて仕上げる)は、湿度や温度に敏感なため、山の環境にシンクロしやすい。
巴達古樹青餅2010年プーアル茶
西双版納旧六大茶山「革登」を訪問して、失われたお茶づくりを見て、そのお茶の味に感じたつじつまの合わないところの謎がわかってきた。
製茶場の自然環境という観点で、いまいちど当店のオリジナルのお茶をひとつひとつふりかえってみたいと思う。それぞれの山の記憶をたどってゆくと、まだ知らなかったことがたくさん見つかりそうだ。
山のことをもっと理解したい。そうしたら、次のお茶づくりをどうするべきか、現場での動きがイメージできるだろう。お茶の味にもっと山の個性を表現することができるだろう。
今日はこのお茶。
+【巴達古樹青餅2010年プーアル茶】
このお茶が最近とても美味しい。
巴達古樹青餅2010年プーアル茶
巴達古樹青餅2010年プーアル茶
左: 益木堂昔帰古樹小青餅2013年
右: 巴達古樹青餅2010年
このところ半発酵のお茶の香りの華やかさや甘い味に注目しているけれど、この二つを比べると、どちらかというと緑茶に近く、半発酵度の低い『巴達古樹青餅2010年』のほうが上等に感じる。香りの華やかさ、甘味、ともにキレイな感じがする。
早春の肌寒い巴達山。海抜1800メートル越える紫色の光線。そのときはまだ木造の製茶場で、夜は冷たいすきま風が通っていった。次の日の晒干(天日干し)の太陽は茶葉を焦がすのではないかと思うくらい強烈だった。
茶葉はすべてを記憶している。

ひごりごと:
巴達山へ秋のうちにいちど行こうと思う。
巴達山
山へ行ってもすぐにわからないことが多いけれど、そこで感じたことをしっかり記憶しておけば、後からいつでもどこでも、山への一問一答が続けられる。

益木堂昔帰古樹小青餅2013年 その3.

製造 : 2013年4月
茶葉 : 雲南省臨滄市昔帰古茶樹
茶廠 : 孟海恒邦手工制茶廠
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 餅茶
保存 : 西双版納 紙包み
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : 小さめの蓋碗
益木堂昔帰古樹小青餅2013年プーアル茶

お茶の感想:
旧六大茶山の「革登」のお茶を探る過程で、
まったく別の茶山の「昔帰」のお茶になにかを感じた。
昔帰のお茶は「蘭香」と呼ぶ花のような香りに特徴がある。
これが、意外にも軽発酵のすすんだ効果によることがわかってきた。
お茶の香りを左右するのは、品種・山の環境・土質・山の斜面の方角・茶摘みのタイミングなどなど様々だが、花や果物を連想させる甘味を含むかどうかは、軽発酵(茶葉の持つ成分変化)が関係していることが多いと思う。
生茶の原料となる「晒青毛茶」は、天日干しで仕上げる緑茶と言われるが、例えば易武山の一部のお茶のように軽発酵がすすんで青茶(烏龍茶)に近い雰囲気をもつものがある。長期熟成させていない新しいうちにこれを淹れると、色の出るのがゆっくりで、透明感があって、やや青っぽい色(赤味の少ない色)をしている。
「昔帰」のお茶にもその特徴がある。
益木堂昔帰古樹小青餅2013年プーアル茶と漫撒古樹青餅2013年・緑印プーアル茶
左: 益木堂昔帰古樹小青餅2013年
右: 漫撒古樹青餅2013年・緑印
『漫撒古樹青餅2013年・緑印』は、農家が自主的に製茶したもので、当店の技術的な注文はない。この場合、近年の傾向として軽発酵度の低い、どちらかというと緑茶に近いお茶になりやすい。
『益木堂昔帰古樹小青餅2013年』も、同じように農家が自主的に製茶しているはず。それなのに、湯は軽発酵のすすんだ色を示している。
そこで、もうひとつ別のお茶と比べてみることにした。
益木堂昔帰古樹小青餅2013年プーアル茶と漫撒古樹青餅2013年・黄印プーアル茶
益木堂昔帰古樹小青餅2013年プーアル茶と漫撒古樹青餅2013年・黄印プーアル茶
左: 益木堂昔帰古樹小青餅2013年
右: 漫撒古樹青餅2013年・黄印
色の出方がよく似ている。
『漫撒古樹青餅2013年・黄印』は、軽発酵を意識してつくったお茶。
ただし、どちらかというと「味」における甘味を意識しているから、香りの華やかさは少ないかもしれない。その点で、「昔帰」の製茶技術は、はっきりと香りを意識している。
「昔帰」はまだ訪問したことがないが、おそらくこれを製茶する農家に特別な工夫など無いのだ。
いつものとおりに、他の茶山とおなじようにしていたら、勝手に蘭香が出てくる。
そんな感じ。
どうしてこうなるのか?
それが今回のテーマ。(・・・ふぅ、長い前置きだ。)
この違いは『南糯山古茶樹の散茶2013年』に見つけていた。
3月につくったのと、5月につくったのがあった。
同じ茶樹の同じ製茶技術で仕上げた晒青毛茶なのに、5月のお茶のほうが軽発酵のすすんだふんわりした雰囲気を持っている。
そのひとつの理由は茶葉の育ちの違い。
益木堂昔帰古樹小青餅2013年
写真: 益木堂昔帰古樹小青餅2013年の葉底(煎じた後の茶葉)
萎凋で甘い香りを引き出しやすいのは、新芽・若葉よりも成長した大きな葉。3月の早春の茶葉には新芽・若葉の割合が多くなりやすく、5月の晩春の茶葉には成長した葉が多くなりやすい。
しかし、それだけではない。
もっと大きな違いがある。
それは、製茶をするところの湿度や温度。
西双版納の南糯山は、3月中旬から茶摘みがはじまるが、はじまってすぐはまだ冬の乾季で、山の上のほうは重ね着をしないと寒いくらい。空気も乾燥している。ところが、4月中頃の「撥水節」を境に雨季に入り、日に日に気温が上がってゆき、いっきに夏になる。毎日のように夕立のような雨が降る。
この湿度と温度の違いが、軽発酵を促す萎凋の効果を大きく変えるのだ。
益木堂昔帰古樹小青餅2013年
左; 5月の晒青毛茶
右: 3月の晒青毛茶
「昔帰」はあまり海抜の高くないところにある茶山で、しかも真下にメコン川の流れがある。その蒸気が上がって来て、製茶場に特殊な環境をつくる。自然環境が半発酵をうながし「蘭香」を生む。そういうことじゃないかと思う。
つまりこれが、「昔帰」の山や茶の個性。
お茶の個性は、人が意図してつくるものではなくて、自然にあるもの。
製茶場の環境でさえ、自然に支配されているのだ。
ということは・・・・・
旧六大茶山の「革登」の話に戻って考えてみる。
革登茶山
革登茶山
昔からお茶をつくってきた農家と村をいったん失った茶山。
現在は季節になると近隣の村から山へ入って茶摘みをして、摘みたての鮮葉を売るだけの農家が多くなっている。鮮葉はその日のうちに山の下のほうへ運ばれ、製茶業者に販売される。製茶設備のある場所は「革登茶山」から離れたところで、同じ環境ではない。
革登のお茶につじつまの合わないものを感じてしまったのは、こういうことだろうと思う。

ひとりごと:
ダイ族の熟成壺をもういちど。
ダイ族の窯元
ダイ族の窯元
いや、できるまでなんどでも。

益木堂昔帰古樹小青餅2013年 その2.

製造 : 2013年4月
茶葉 : 雲南省臨滄市昔帰古茶樹
茶廠 : 孟海恒邦手工制茶廠
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 餅茶
保存 : 西双版納 紙包み
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : 小さめの蓋碗
西双版納の野生の栗

お茶の感想:
山があって、
茶樹があって、
栽培があって、
製茶があって、
お茶となって、
運ばれて、
商品となって、
お茶淹れして、
飲む人があって、
この味わいがある。
ひと筋がつじつまの合うように繋がってほしい。
山や茶の個性を知り、製茶の技術を探り、美しさの観点を見つけ、お茶淹れのコツを探ってほしい。
もしもつくる人が、山や茶の個性を無視して今流行りの製茶で仕上げたら、良いお茶にはなりにくいだろう。
もしも売る人が、つくり手の山や茶の個性と向き合った考察を汲み取れなかったら、ただ右から左へ流れるだけになるだろう。
もしも淹れる人が、なにも考えずにいつものとおりに淹れていたら、輝く味の原石は埋もれたままになるだろう。
もしも飲む人が、心を静めて五感でお茶を味わえなかったら、山や茶の個性はあまり多くを語らないだろう。
お金を払うのだから、早くて・安くて・カンタンで、買う人になにも考えさせない配慮を求めるというのなら、ファーストフードやペットボトルにしてほしい。
お茶には「人格」がある。
つくる人も、売る人も、飲む人も、それを尊重するべきなのだ。
革登古樹青餅プーアル茶
お茶は遠くの異郷の地から運ばれてきた。
その運搬は、ただの荷物として、ただの重量物として運ばれたのではなかった。
紅河州の旅の、古い茶の道で出会った人々と交わした会話にそれを感じた。彼らは西双版納のお茶づくりに興味を持ち、山のこと、茶樹のこと、栽培のこと、民族のこと、製茶技術のことを知りたがった。持参した『巴達古樹紅餅2010年紅茶』をいっしょに飲んだら、もっと質問が増えた。
テレビもネットもなかった時代に、異国の山から運ばれて来たのは茶葉だけではなかったらしい。山の自然や民族の習慣、お茶をつくる人々の英知、中継して売る人たちの執念。これらをいっしょに運んだのだ。そのお茶を飲むと、異国の山の風が吹いた。山は茶となり、茶は飲む人の身体の一部となった。
昔の人々はそうやって繋がったのかもしれない。大学を出なくても、外国語がわからなくても、ネットをうまく使えなくても、外の世界と繋がることができる。
革登古樹
さて、前回からづつく、旧六大茶山の「革登」のお茶。
もういちど別の山のお茶と飲み比べてみる。
茶葉をじっくり観察する。味わいの違いを見つける。
現地を訪問する以外に、山や茶の個性を知り、製茶の技術を探るのはこの方法しかない。
選んだのは「昔帰」のお茶。
旧六大茶山からは北東に400キロ以上離れた臨滄市の茶山で、気候も地質も異なるが、メコン川中流が近くに流れ、あまり海抜の高くないところにあるのが似ているかもしれない。
革登古樹青餅プーアル茶と益木堂昔帰古樹小青餅2013年プーアル茶
革登古樹青餅プーアル茶と益木堂昔帰古樹小青餅2013年プーアル茶
革登古樹青餅プーアル茶と益木堂昔帰古樹小青餅2013年プーアル茶
左: 益木堂革登古樹青餅2013年プーアル茶
右: 益木堂昔帰古樹小青餅2013年プーアル茶
いくつか新しい発見があったのだけれど、細かなところはさておき、「昔帰」のお茶のほうが山や茶の個性について、それに適した製茶について、よく考えられていると思った。つじつまが合っている。
やはりこっちか・・・・。

ひとりごと:
ダイ族の焼餅。
焼餅
元祖なれ鮓。
なれ鮓
なれ鮓は蒸して食べる。
米と鮒とを乳酸発酵させたホンモノ。
米とぶつ切りの魚の身との境目がわからないくらい発酵がすすんでいた。
同じく米でつくったダイ族の焼酎でちびちびやる。


茶想

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