革登単樹秋天散茶2014年 その1.
製造 : 2014年11月
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県象明革登山大葉種古樹・単樹
茶廠 : 革登山農家
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 散茶
保存 : 西双版納 密封
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : 小さめの蓋碗
お茶の感想:
西双版納孟臘県旧六大茶山を巡ってきた。
現在の地名からは易武と象明の2つの地域からなる。
まだ行ったことのない奥地がある。
毎日毎日、朝から晩まで、山から山への移動だった。
旧六大茶山をつなぐ路線は、明代1600年2代から清代1800年代にかけてつくられた貢茶の古道。茶馬古道と呼ばれるが、チベットへ征く西南シルクロードの茶馬古道とは違う。目的が違う。お茶も違う。
”貢茶古道”と名前を分けて、お茶の種類も”易武晒青茶”とでも呼んで分けたほうがよいと思うが、遊牧民の飲む生活のお茶とごっちゃ混ぜになってプーアール茶とまとめられている。
プーアール茶はお茶の種類を現すのではない。そこが誤解を生んでいる。
古道は、車・バイク・徒歩を組み合わせて5日間かけてもその一部しか巡れなかった。
このことからしても、かつてのお茶どころの広大さが伺える。
山頂付近では各山のてっぺんが見える。
地図を片手に、あっちが”倚邦山”、こっちが”刮風寨”、だったら右に見えるのは”一扇磨”で、左に見えるのは”革登山”のはず・・・と旧六大茶山を確認しながら歩いた。
地元の人たちが現在も利用する生活道と古道とは一致しているところが多い。
石畳の道は失われ、馬での輸送もこの数年でなくなって、バイクや車が砂埃を上げて走る。
徒歩でしか行けない道や、密林に埋もれて失われた道もある。
古茶樹のある山は3つのタイプに分けられる。
ひとつは、清代から現代までずっと農地を保っているところ。
もうひとつは、清代末期に廃れて元の原生林に戻っているところ。
そして、この数年で再度開拓されて原生林から農地に戻ったところ。
茶樹は環境にとても敏感な植物で、それぞれの環境に適応して性質を変えていって、それが品種特性となって、それぞれの風味を茶葉に宿す。
山の日照・気温・湿度・風・土質・水質・海抜・周辺の植物・虫や微生物などなど、山歩きをしてもバラエティーに富む環境に出会える。
「どれが一番良い条件なのか?」
同行した広東人はひとつの正解を求めたがるけれど、それは難しいと思う。
今年の夏から秋にかけては例年よりも雨が多く、香りと味のしっかりノッたお茶を探すのが難しかった。
例年なら11月になるともう冬で、茶は芽を出さなくなるが、今年はちがう。
しかし茶商はもう仕事を終えた後で、山には来なくなっていた。
あちこちの農家に季節の最後の晒青毛茶が余っていた。たくさんの中から選べるチャンスだったが、ほとんどが”水味”の強いお茶で、香りも味もノッていなかった。
森林が深いほど水気が多い。
その点で日照が確保された農地は比較的乾燥している。
この場合は農地のほうが味がノルのではないか?と推測した。
推測が当たったのかどうかは不明だが、古い農地の革登山のお茶は特別に薫った。
一本の大きな茶樹から採取する”単樹”づくり。
11月24日、ハシゴを掛けて、3人がかりで半日かけて茶摘みされた。
晒青毛茶になったのは3キロ弱。
単樹としては収穫量の多いほうで、このことからも日照の多い農地であることがわかる。
『革登単樹秋天散茶2014年』。
別の山では出会いがあった。
その人のお茶づくりは噂に聞いていた。
昔のお茶の再現というテーマにおいて、自分よりもずっと先をゆく試みをしている。
清代末期に廃れていったん原生林に戻っていた一扇磨の山に樹齢何百年の古茶樹がたくさん生きて残っている。
近年になって森のお茶に人気が出て、農地に戻されそうになったところで、山2つ分ほどの借地権を買い取って、森の木を切らない自然栽培を模索している。
村からあまりに遠く離れた山奥なので、そこから鮮葉を持ち帰るには遠すぎる。徒歩で3時間半もかかる。道も悪い。
山に手づくりの製茶場をつくってそこに住み込んでお茶をつくる。
森林の管理を数人で行うために10人ほど山小屋に駐在する。茶葉泥棒を防ぐためである。
元の所有者である農家に任せていたら、他人の見ていないところで森の木は切るし、除草剤は撒くし、どんなひどいことになるかわからない。
理想をつらぬくには自分でやるしかない。
あっちの山こっちの山と茶葉を求めていてはできない仕事。
ひとつの山に集中すると、他の山の収穫をあきらめなければならないから、勇気のいる決断。
どういう結果になるのか興味深い。
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県象明革登山大葉種古樹・単樹
茶廠 : 革登山農家
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 散茶
保存 : 西双版納 密封
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : 小さめの蓋碗
お茶の感想:
西双版納孟臘県旧六大茶山を巡ってきた。
現在の地名からは易武と象明の2つの地域からなる。
まだ行ったことのない奥地がある。
毎日毎日、朝から晩まで、山から山への移動だった。
旧六大茶山をつなぐ路線は、明代1600年2代から清代1800年代にかけてつくられた貢茶の古道。茶馬古道と呼ばれるが、チベットへ征く西南シルクロードの茶馬古道とは違う。目的が違う。お茶も違う。
”貢茶古道”と名前を分けて、お茶の種類も”易武晒青茶”とでも呼んで分けたほうがよいと思うが、遊牧民の飲む生活のお茶とごっちゃ混ぜになってプーアール茶とまとめられている。
プーアール茶はお茶の種類を現すのではない。そこが誤解を生んでいる。
古道は、車・バイク・徒歩を組み合わせて5日間かけてもその一部しか巡れなかった。
このことからしても、かつてのお茶どころの広大さが伺える。
山頂付近では各山のてっぺんが見える。
地図を片手に、あっちが”倚邦山”、こっちが”刮風寨”、だったら右に見えるのは”一扇磨”で、左に見えるのは”革登山”のはず・・・と旧六大茶山を確認しながら歩いた。
地元の人たちが現在も利用する生活道と古道とは一致しているところが多い。
石畳の道は失われ、馬での輸送もこの数年でなくなって、バイクや車が砂埃を上げて走る。
徒歩でしか行けない道や、密林に埋もれて失われた道もある。
古茶樹のある山は3つのタイプに分けられる。
ひとつは、清代から現代までずっと農地を保っているところ。
もうひとつは、清代末期に廃れて元の原生林に戻っているところ。
そして、この数年で再度開拓されて原生林から農地に戻ったところ。
茶樹は環境にとても敏感な植物で、それぞれの環境に適応して性質を変えていって、それが品種特性となって、それぞれの風味を茶葉に宿す。
山の日照・気温・湿度・風・土質・水質・海抜・周辺の植物・虫や微生物などなど、山歩きをしてもバラエティーに富む環境に出会える。
「どれが一番良い条件なのか?」
同行した広東人はひとつの正解を求めたがるけれど、それは難しいと思う。
今年の夏から秋にかけては例年よりも雨が多く、香りと味のしっかりノッたお茶を探すのが難しかった。
例年なら11月になるともう冬で、茶は芽を出さなくなるが、今年はちがう。
しかし茶商はもう仕事を終えた後で、山には来なくなっていた。
あちこちの農家に季節の最後の晒青毛茶が余っていた。たくさんの中から選べるチャンスだったが、ほとんどが”水味”の強いお茶で、香りも味もノッていなかった。
森林が深いほど水気が多い。
その点で日照が確保された農地は比較的乾燥している。
この場合は農地のほうが味がノルのではないか?と推測した。
推測が当たったのかどうかは不明だが、古い農地の革登山のお茶は特別に薫った。
一本の大きな茶樹から採取する”単樹”づくり。
11月24日、ハシゴを掛けて、3人がかりで半日かけて茶摘みされた。
晒青毛茶になったのは3キロ弱。
単樹としては収穫量の多いほうで、このことからも日照の多い農地であることがわかる。
『革登単樹秋天散茶2014年』。
別の山では出会いがあった。
その人のお茶づくりは噂に聞いていた。
昔のお茶の再現というテーマにおいて、自分よりもずっと先をゆく試みをしている。
清代末期に廃れていったん原生林に戻っていた一扇磨の山に樹齢何百年の古茶樹がたくさん生きて残っている。
近年になって森のお茶に人気が出て、農地に戻されそうになったところで、山2つ分ほどの借地権を買い取って、森の木を切らない自然栽培を模索している。
村からあまりに遠く離れた山奥なので、そこから鮮葉を持ち帰るには遠すぎる。徒歩で3時間半もかかる。道も悪い。
山に手づくりの製茶場をつくってそこに住み込んでお茶をつくる。
森林の管理を数人で行うために10人ほど山小屋に駐在する。茶葉泥棒を防ぐためである。
元の所有者である農家に任せていたら、他人の見ていないところで森の木は切るし、除草剤は撒くし、どんなひどいことになるかわからない。
理想をつらぬくには自分でやるしかない。
あっちの山こっちの山と茶葉を求めていてはできない仕事。
ひとつの山に集中すると、他の山の収穫をあきらめなければならないから、勇気のいる決断。
どういう結果になるのか興味深い。
- 2014.11.29 Saturday
- プーアール茶2014年
- 23:46
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- by ふじもと