製造 : 2014年04月02日
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山一扇磨
茶廠 : 上海廚華杯壷香貿易有限公司監製
工程 : 生茶のプーアール茶
形状 : 餅茶357gサイズ
保存 : 上海 紙包+竹皮+紙箱
茶水 : 京都御所周辺の地下水
茶器 : 小さめの蓋碗
お茶の感想:
秋の終わりに一扇磨を訪ねた。
ほんの2週間前のことなのに、西双版納(気温25度)・上海(気温3度)・京都(気温8度)と移動して、気候の変化に疲れた。京都の縄のれんの掛かる居酒屋で熱燗で温まると、熱帯雨林の西双版納の山はずいぶん遠い昔みたいに思える。
一扇磨は旧六大茶山”漫撒山”の一部。
現在の地名で言えば易武山の地域。
漫撒山の地域は広い。いくつもの山が連なり、その一部は国有林に指定された”弯弓”や”刮風寨”がある。一扇磨は弯弓の一部である。ラオスの国境と接していて、ラオス側にも保護地域の山が連なっている。
特殊な植物がいたり、現在でも野生象が生息する。
国有林の一帯は人が住んだり農地をつくることが許されていない。
茶樹は、現存するものから茶葉を採取することだけが許されている。
かつて清代1800年代には貢茶のお茶どころで、山奥の村々は栄えていた。
歴史の紆余曲折によって現在は人里離れた自然の森に還り、毎日数百頭の馬が通っていた古道の石畳は密林に埋もれている。
およそ200年もの間、茶樹は深い森の陰にひっそりと生き続けている。
一扇磨のお茶をはじめて飲んだのは2009年だった。
易武山の茶荘で”刮風寨”・”弯弓”・”一扇磨”の3つを飲み比べる機会があった。
2009年にはすでに現代の開拓者が山に入って、野生化した茶樹のお茶づくりをはじめていた。
”プーアール茶バブル”と呼ばれた2007年頃から、ひそかに森の奥のお茶に注目した茶商がいたのだろう。
2012年頃までは村から近い”落水洞”や”麻黒”などの古い農地のお茶のほうが人気があった。
森の奥の古樹が注目されたのは2012年あたりから。
これには時代背景もあると思う。
世界的な環境汚染が問題となる中で、人の手に触れていない森の奥の茶樹が価値あるものになる。
漫撒山からラオスにかけての山々は瑶族のテリトリー。
”刮風寨”と”弯弓”の周辺には瑶族の村がいくつかある。
茶葉に高値のつかないうちは、注文があれば深い山に入って采茶にゆくくらいだった。
易武山の農家や茶荘が買い取って製品にしていた。
2012年頃から森の奥の茶葉に高値がついて、瑶族が村で自ら製茶して売る体制を整えていった。
森の奥へ入るのは歩くだけで片道3時間はかかる。往復6時間。
これでは製茶作業をする間もないので、オフロードバイクの入れる道を整備したり、森の陰をつくっていた樹々を切って茶樹に日光をあてたり、安定的に生産できるようになっていった。
200年もの間、深い山にひっそりと生きてきた茶樹は、深い眠りから叩き起こされたような感じだろうか。
弯弓では高値のつく森の茶の権利をめぐり、瑶族の村と村とが武力衝突した。
刮風寨では早春に200キロしかつくれないはずの古樹茶が数十トンもつくらるようになった。
一扇磨からラオス国境にかけての国有林が、なぜか民間で売買され、北京からの使者が来て汚職の粛清がはじまろうとしている。
しかし、森の古茶樹にとってもっとも危機的な変化は、この漫撒山一帯で起こっていることではない。
むしろ漫撒山の周辺である西双版納の全体の環境の変化。
車のタイヤをつくるゴムの木と、バナナの栽培バブル。
この二つの作物によって熱帯雨林の森は失われ、地域全体の空気が乾燥し、気候が変わりだした。
この二つの作物に大量に使用される農薬や化学肥料が地域全体の自然環境を汚染しつつある。
すでに汚染されて不健康な山しか知らない人の眼から見たら、緑さえあれば自然がいっぱいと勘違いしやすいけれど、健康な山は違う。
いろんな生き物がいっしょに生きられて、生命の循環が活発になる状態。その状態の緑の美しさには神が宿る。
茶樹は環境に敏感な生きもの。
乾いた空気や日照の変化に反応する。茶葉に宿る成分に変化が起こり、お茶の味を変える。薬効が変わる。
森林の伐採はこれからも続くだろう。
経済発展にあわせた消費生活が文明的であると勘違いされて、もっと収入を求める農家が茶葉を乱獲するだろう。
周囲に森を失った茶山の気候は変わって、枯れ死ぬ古茶樹もあるだろう。
すでにそんな枯れ方の茶樹をあちこちで見ている。
この変化をどう考えるか。
現地の茶業に関わる人々にこの問題を知らない人は居ない。みんなそれなりに肌で感じているはず。しかし、どういう態度で、どういう行動を起こすかは人それぞれ。
この問題に、ひとつの回答を出そうとする人に出会った。
秋の終わりの漫撒山で、現地の工房の老板(オーナー)が紹介してくれたその人は、海南島生まれで上海で茶荘を営み、年の半分を西双版納の山で過ごしている。おなじく漫撒山のお茶を求めてうろうろしている日本人の噂をどこかで聞いていたらしく、自己紹介もそこそこに老板はこう切り出した。
「一日歩くことになりますが、うちの茶山を見に行きませんか?」
その山が一扇磨の方向にあることを知ったのは、そこへ行くには一番近いとされる村に車が停まったときだった。
「まさか、ここから歩くのではないでしょうね?」
「そうです。ここから歩きます。」
「丁家老寨まで車で上がれば、そこからバイクで1時間半で行けると聞いていますが・・・。」
「そのバイクで行けるところから、さらに1時間半歩いたところにうちの農地があります。ここからは歩いて3時間半です。」
ホンモノの一扇磨に行けると確信した。
(地元の案内人は遠出を嫌って、その辺を適当に案内して騙すことがある。ニセモノはお茶だけではない。)
もともとそのつもりだったから、山登りの準備はある。一泊くらい野宿しても平気・・・と思っていたが、途中から携帯電話の信号が届かなくなる。上り坂が2時間も続くと息が上がる。崖の上から谷底を覗くと汗が冷たくなる。
道中には一扇磨のニセモノをつくるための農地開拓がすすんでいる。(国有林に植樹するのは違法)
苗を買ってきて植えられた若い茶樹。ホンモノは200年以上も森の陰に育っていたのだから見たらすぐにわかる。
山に深く入るほどに植物の様子が違ってくる。
ところどころに野生状態に育った茶樹が見つかるようになる。
3時間半歩いて、青空が見える山頂付近の開けたところにキャンプがあった。
山小屋というよりはキャンプ。
軍隊の使うタイプの大きなテントがいくつも設置されて、仮設トイレ(山の環境を汚さないようカンタンな自然の浄化設備がつくってある)があり、仮設シャワー室まである。山岳民族の苗族(ミャオ族)の家族が10人ほど雇われて住み込みで働いている。
密林では植物が圧倒的優位な立場にいるから、例えば、山道の草刈りを2ヶ月も休めば緑に覆われて道をなくす。水源の確保、自給自足のための野菜の栽培、すべてをこの地で自足せねば、いちいち3時間半の山歩きで物資を運ぶことになる。
だからこの地が選ばれた。
あまりに山が深くて不便なので、借地権を所有していた農家は数年前までほとんど手を付けていなかった。古茶樹ブームで価格の高騰とともに山の開拓がはじまり、いよいよ奥深いここの森林が伐採され始めた昨年に、上海の老板は山の借地権を買い取って森林の伐採を止めた。
丁家老寨にも伝わる古い栽培手法の”熟した枝づくり”により、枝の剪定を止めた。
手入れは草刈りだけ。もちろん無農薬・無肥料。
2014年の春、この山でのお茶づくりがはじまる。
志を共にする江蘇省の老板が山の管理を手伝うようになり、彼はすでに3ヶ月もキャンプを離れていない。
このキャンプで、秋のつくりたての晒青毛茶を、沢水で沸かした湯で飲んだ。
そのお茶は味がしない。薫らない。
かといって水っぽいわけでもない。一瞬だけ苦味・渋味が走って消える。後味にほのかな甘味が残る。淡いを通り越して透明な液体。舌をヒリヒリ痺れさせる後味。4煎めくらいから甘味が増して、5煎めになると風呂上がりの酔い心地。味わうというよりも、山の霊気を飲むお茶。
同行した広東人の茶友は、味も香りも隠れたお茶は初体験だった。しかし、さすがにこの深い山の森林と、健康な古茶樹と、彼らの真剣な仕事を見て、面と向かって批判できない。
「あのお茶、どう考える?」
山を降りてから広東人が意見を求めるが、自分もまだ消化しきれていない。
「上海に行って春の餅茶を手に入れることにする。」
上海の茶荘の老板もその頃上海に戻るというから、その数日後に直接会ってきた。
”古玩城”と名付けられた骨董屋さんやお茶屋さんの集まるデパートのような新しい施設に茶荘はあった。
このお茶『祈享易武青餅2014年』は、357g標準サイズの餅茶で定価2600元(約5万円)。今年はこの春のと、ちょっと安めの秋のと、2種類だけ。
過去のお茶にはいろいろな有名茶山のコレクションがあるが、上海の老板はもうそれらには興味がない。
店がどんなことになっているか、商売がどんなことになっているか、いっぺんにわかった。
もちろん、この経過については想定内で、我慢の時間なのだろうけれど、どこかに焦りの色を見てしまう。
「じっくり飲んで、また来て感想を話します。」
そう伝えた。
これから一枚をじっくり飲む。今日はその一回目。
やはり秋のお茶と同じ。味がしない、薫らない。
一瞬だけ苦味・渋味が走って消える。後味にほのかな甘味が残る。
淡々と、何煎も何煎も続く密度の濃い水質。味や香りの成分が存在しないわけではない。姿を隠しているのだ。
ひごりごと:
これと同じ語り口の、味のしない薫らないお茶に思い当たりがある。
『丁家老寨青餅2012年』をつくったときに、季節の最後に大きな2本の茶樹から採取した茶葉。そのお茶を飲んでみた。
ほとんど同じようなお茶だった。
製茶の調整の違いで『丁家老寨青餅2012年』はやや味がわかりやすく、香りも立つ。
しかし、ほぼ同じ言語を話している。
丁家老寨と一扇磨とは距離が近い。やや海抜の高い気候や、そこで育まれた茶の品種も似ているのだろう。おなじ山続きの弯弓とは気候が異なり、茶の語り口も異なる。
上海の老板の試みは、こうした生態環境の差だけではない。
丁寧なお茶づくりの成果を問う仕事。
知らない人が飲むことになる茶葉を、愛情もなくまるでゴミのように雑に扱う農家や現地の茶商に、指一本触れさせない仕事。
その仕事のできる環境を、車もバイクも入れない山奥に整えたのは、完璧主義だからできること。
このお茶からなにを学べるのか、まだよく分からない。
けれど、ひとつはっきりしているのは、自分もこの方向へ向かっていること