刮風寨茶王樹古樹青餅2015年・秋天
製造 : 2015年10月
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山(旧易武山)刮風寨
茶廠 : 茶王樹の製茶場
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 餅茶
保存 : プラスチックバッグ密封
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : 白磁の蓋碗
お茶の感想:
「人間とお茶の関係は、クスリとしての利用からはじまって、長い歴史を経てだんだんと味が求められるようになり、実用品から嗜好品へと変化していった。」
お茶の起源にふれた本にはだいたいそんなふうに書かれている。
お茶の変化というよりも、人間の変化。
生活なり精神なりの変化が、お茶に求めるものを変えていった。
それと同時に、お茶という植物の性質も変化したのかもしれない。
野生から栽培の植物へと変化するにつれ、クスリとしてのチカラを失っていった。薬草という立場では居られなくなって、飲料という立場に降格した。
野生と栽培の中間にある森のお茶を追いかけるうちに、そんな観点も見えてきた。
人が茶に近づくほどに野性味を失ってゆく。
森のお茶に求めているのは、味や香りよりも口感・喉感、そして体感。
森の深さ、生態環境の良し悪し、茶樹の健康、長寿な古樹。
これらの価値観はクスリとしての上質を求めるもの。
生茶のプーアール茶の製法は簡素なままで良い。
素材の上等を求めることにおいて、製茶技術を凝ると素材の素顔が見えにくくなる。栽培の技術を凝るとを薬効を失う。
森のお茶を狙ってつくる茶商のひとり「老孟」 lao meng(そういうニックネームの人)が、秋のお茶づくりを終えて山から降りてきた。
今日はそのお茶。(この記事の投稿日よりも少し前の11月18日のこと)
『刮風寨茶王樹古樹青餅2015年・秋天』。
いったん餅茶に加工したのを崩して飲んだ。
山に10間泊まり込みでたったの7キロ。
今年の秋は天候が悪くて、新芽・若葉の成長するタイミングと、晒干が一日でスッキリ仕上がる天候のタイミングと、ピタッと合ったのは2日か3日だったらしい。
刮風寨の”茶王樹”のお茶は、前回訪問した”茶坪”のお茶に比べると味が若々しい。ちょっと渋味・苦味があるが、その分香りが強い。
秋のお茶にしては耐泡(煎が続く)があって、心地よく飲み続けられたが、やはり水味がある。
采茶する前日に雨の降った味がする。
今年の秋に水味の無いお茶は無い。
これは技術では誤魔化せない素材の言葉。山の言葉。地球や太陽が周回する暦の言葉。
もちろん口感と体感は上等で、ずっとこのお茶だけを飲み続けたいと思える。心地よい茶酔いが続いて、茶気の当たりは穏やかで、眠れなくなるようなことはない。
やはり森のお茶としての性質を重視して、深い森の半日陰を選んでいるらしい。
老孟は自分よりも歳は若い30半ばだが、森のお茶を狙ってつくることにおいては2年ほど先輩。
「なぜ弯弓の森の古茶樹は、今年は美味しいお茶に恵まれなかったのか?」
(弯弓の問題については過去にこの記事を書いている。)
老孟はひとことで答えた。
「摘みすぎでしょう。」
ズバリそうだと思う。人気が出てよく売れるから、瑶族の農家が森の木々を伐採して、茶樹に太陽の光を当てて、収穫を増やしたのだ。結果、摘みすぎになる。
栽培に近付いた茶樹から霊気が逃げてゆく。口感・喉感・体感にそれが現れる。
2010年から西双版納州景洪市にアパートを借りて住んでいるが、5年目の秋になって引っ越しした。この2週間ほどはそれで忙しかった。
同じ市内で仮住居ではあるが新開発区の新しいマンション。16階建ての16階。メコン川沿いで、開発区の中心となるゴルフ場を下に見る。ゴルフをする人なんてひとりも居ない地域だが、別荘として北京や上海の人が買っている。転売を目的にしているオーナーが多いので、実際に住んでいる人は部屋数の4分の1にも満たない。
農業市場のすぐ隣の下町から街の外れに移ったので、生活の面でいろいろ不便になるが、賑やかなところから静かなところへ、環境の変化がもたらす効果に期待したい。中国で人の多いところは、人の数だけトラブルも多くて、それから開放されるだけでも気分が良い。
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山(旧易武山)刮風寨
茶廠 : 茶王樹の製茶場
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 餅茶
保存 : プラスチックバッグ密封
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : 白磁の蓋碗
お茶の感想:
「人間とお茶の関係は、クスリとしての利用からはじまって、長い歴史を経てだんだんと味が求められるようになり、実用品から嗜好品へと変化していった。」
お茶の起源にふれた本にはだいたいそんなふうに書かれている。
お茶の変化というよりも、人間の変化。
生活なり精神なりの変化が、お茶に求めるものを変えていった。
それと同時に、お茶という植物の性質も変化したのかもしれない。
野生から栽培の植物へと変化するにつれ、クスリとしてのチカラを失っていった。薬草という立場では居られなくなって、飲料という立場に降格した。
野生と栽培の中間にある森のお茶を追いかけるうちに、そんな観点も見えてきた。
人が茶に近づくほどに野性味を失ってゆく。
森のお茶に求めているのは、味や香りよりも口感・喉感、そして体感。
森の深さ、生態環境の良し悪し、茶樹の健康、長寿な古樹。
これらの価値観はクスリとしての上質を求めるもの。
生茶のプーアール茶の製法は簡素なままで良い。
素材の上等を求めることにおいて、製茶技術を凝ると素材の素顔が見えにくくなる。栽培の技術を凝るとを薬効を失う。
森のお茶を狙ってつくる茶商のひとり「老孟」 lao meng(そういうニックネームの人)が、秋のお茶づくりを終えて山から降りてきた。
今日はそのお茶。(この記事の投稿日よりも少し前の11月18日のこと)
『刮風寨茶王樹古樹青餅2015年・秋天』。
いったん餅茶に加工したのを崩して飲んだ。
山に10間泊まり込みでたったの7キロ。
今年の秋は天候が悪くて、新芽・若葉の成長するタイミングと、晒干が一日でスッキリ仕上がる天候のタイミングと、ピタッと合ったのは2日か3日だったらしい。
刮風寨の”茶王樹”のお茶は、前回訪問した”茶坪”のお茶に比べると味が若々しい。ちょっと渋味・苦味があるが、その分香りが強い。
秋のお茶にしては耐泡(煎が続く)があって、心地よく飲み続けられたが、やはり水味がある。
采茶する前日に雨の降った味がする。
今年の秋に水味の無いお茶は無い。
これは技術では誤魔化せない素材の言葉。山の言葉。地球や太陽が周回する暦の言葉。
もちろん口感と体感は上等で、ずっとこのお茶だけを飲み続けたいと思える。心地よい茶酔いが続いて、茶気の当たりは穏やかで、眠れなくなるようなことはない。
やはり森のお茶としての性質を重視して、深い森の半日陰を選んでいるらしい。
老孟は自分よりも歳は若い30半ばだが、森のお茶を狙ってつくることにおいては2年ほど先輩。
「なぜ弯弓の森の古茶樹は、今年は美味しいお茶に恵まれなかったのか?」
(弯弓の問題については過去にこの記事を書いている。)
老孟はひとことで答えた。
「摘みすぎでしょう。」
ズバリそうだと思う。人気が出てよく売れるから、瑶族の農家が森の木々を伐採して、茶樹に太陽の光を当てて、収穫を増やしたのだ。結果、摘みすぎになる。
栽培に近付いた茶樹から霊気が逃げてゆく。口感・喉感・体感にそれが現れる。
2010年から西双版納州景洪市にアパートを借りて住んでいるが、5年目の秋になって引っ越しした。この2週間ほどはそれで忙しかった。
同じ市内で仮住居ではあるが新開発区の新しいマンション。16階建ての16階。メコン川沿いで、開発区の中心となるゴルフ場を下に見る。ゴルフをする人なんてひとりも居ない地域だが、別荘として北京や上海の人が買っている。転売を目的にしているオーナーが多いので、実際に住んでいる人は部屋数の4分の1にも満たない。
農業市場のすぐ隣の下町から街の外れに移ったので、生活の面でいろいろ不便になるが、賑やかなところから静かなところへ、環境の変化がもたらす効果に期待したい。中国で人の多いところは、人の数だけトラブルも多くて、それから開放されるだけでも気分が良い。
- 2015.11.30 Monday
- プーアール茶2015年
- 12:38
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- by ふじもと