プーアール茶.com

茶教室・京都

マルティン・ハヌシュ陶展にお茶を提供します

チェコの陶芸作家のマルちゃんは、
「お茶を淹れる」とは言わないで、「お茶をつくる」と言う。
詳しく聞かないけれど、なにか意味があるらしい。
茶葉と茶器と水と淹れる人と飲む人と、そして場所と時間と、出会って重なってはじめてお茶が完成するのだから、お茶を淹れる段階も「つくる」ことは続いている。ここにくるまでの「つくる」を受け継いで、最後の仕上げをする。
たぶんそういうことだと思う。
マルちゃん
マルちゃん
お茶づくりの現場でも、いろいろ出会ったり重なったりしてきた過程がある。そこに評価するべきところがたくさんあって、大事なように思える。
その過程は見えない場合もある。
例えばの話、ここに全く同じ鮮葉(摘みたての葉)からつくられた手炒りと機械炒りの2つのお茶があったとする。その違いは、試飲しただけではわからないとする。
手炒りは生産効率が悪いから高価になる。仮に、手炒りは2万円で機械炒りは1万円、2倍の差があるとしよう。
お茶を売る立場であれば機械炒りの1万円を仕入れて、お客様に安く提供するほうがカシコイように思える。しかし、今の自分なら手炒りを選ぶ。なぜなら、グワングワンと鳴り響く機械炒りの気持ち悪い音を知っているからだ。
製茶時の気持ち悪い音は、物理的になんらかの影響を茶葉に与えていて、そういうお茶を飲むと身体になんらかの気持ちの悪い影響を与えるかもしれないと考える。
手炒りにしても、喜んで仕事をしている人の手と、イヤイヤしている人の手と、茶葉のミクロの世界に記録される結果には違いがあると考える。
使う道具は、石油化学製品よりも、茶樹と同じ山の竹や木の素材でつくられて、農家が長年大事に使ってきたものに茶葉を触れさせたほうが良いと考える。
試飲でわかる結果として現れないとしても、まだ科学的に証明されていないとしても、自分が見たり聞いたり触ったりした感覚を大事にしたい。
機械炒りの音を気持ち悪いと感じるかどうか。
その感覚を尊重するかどうか。
この判断は個人によって異なる。
個人の、生まれながらにもっている素質と、これまでの学んできたことや経験が、判断基準をつくる。
生まれ持ったものや過去を変えることはできないから、機械炒りの1万円が市場で歓迎されるのがわかっていても、もしも自分がそっちを選ぶとなにかヘンなことになってしまうだろう。
上海でお茶会をした時に、お茶の先生が、「ふじもと店長はまじめな仕事をする」とみんなに紹介してくださったが、まじめというのはみんなに共通したひとつの採点基準にあるのではない。もしも自分が上海に生まれ育ったとしたら、まじめに機械炒りのお茶を追求したかもしれない。美しい音のする機械を開発して、機械炒りならではの魅力あるお茶ができたかもしれない。そんな自分が、手炒りのほうがよく売れるからといってそっちを選ぶと、やはりなにかヘンなことになってしまうだろう。
過程を大事にする。
まるちゃんの淹れるお茶が美味しいのは、そこに理由があると思う。

告知
2016年1月16日(土曜)
滋賀県長浜市のギャラリー「季の雲」でのマルティン・ハヌシュ陶展
16日のイベント
『 チェコ茶 - チェコの写真とお茶の会 』
にて、プーアール茶ドットコムからいくつかのお茶を提供します。
私も居ます。

季の雲
+【季の雲のページ】
マルちゃん。
+【YouTubeのマルちゃんの動画】
マルちゃんの茶器

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茶想

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