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茶教室・京都

一扇磨春の散茶2016年・緑印 その1.

製造 : 2016年03月28日
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山(旧易武山)一扇磨
茶廠 : 農家
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 散茶
保存 : 西双版納
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : 小さめの白磁の蓋碗
白花の咲く山
白花の咲く山
白花の咲く山

お茶の感想:
山を渡る風に白花が薫る。
花冷えという言葉があるように、まだ冷たい春の空気。
白花と呼ぶ花が山に咲きだすと、茶摘みがはじまる。
こころなしか茶葉にもその香りが移っている気がする。
4月2日の夜のにわか雨が『漫撒一水紅茶2016年』に水の味を宿したのは、空気中の水分を茶葉が吸収したから。
それだけじゃないだろう。
空気の変化は地面の下の土の中とも連動しているにちがいない。
白花
一天一采。茶摘みしたある日の空気が、そのままお茶の味に現れる。
今年の春は采茶のタイミングが難しかった。
西双版納の春はもともと短い。3月初旬から4月明前の1ヶ月ほどが春らしい春。4月中頃にはもう夏になっている。一日一日の変化が大きい。この記事を書いている4月18日は完全に夏の暑さ。Tシャツ一枚になって扇風機を回している。
10日後には毎日のように夕立ちの短い雨が降るようになるだろう。夏が駆け足でやってくる。
一般的に、清明節の4月4日までを春のお茶として、それ以降は晩春もしくは初夏のお茶と評価するが、2016年は2週間ほど春が遅れてやってきた。寒い冬が長引いた。4月4日になってもまだ新芽・若葉を出していない茶樹がたくさん残っている。
はたして、清明節を春と夏の境にしてよいのかどうか。
栽培に人の手が加わらない自然な茶樹ほど、日光の当たらない半日陰で気持ち良く育つ茶樹ほど、樹齢の古い大きな茶樹ほど、新芽・若葉の出るのが遅い。つまり、西双版納の名物といえる樹齢数百年の古茶樹のほとんどが3月中に初摘みできないことになる。
一扇磨への道上
一扇磨への道中
川を渡る
清明節の後には4月12日からの撥水節がひとつの区切りとなる。
しかし、今年は4月18日の今になってもまだ第一波(初摘み)の摘み残しがあると農家から連絡が入る。
自分は独自に判断して、清明節の直前の4月3日に茶摘みを終了した。その後のお茶はつくらなかった。
春の空気にこだわって、古茶樹のこだわりを捨てた。
清代末期に誰かが植えた茶樹の中にも、樹齢100年から150年くらいのものもある。
これらはまだ若いので、比較的早く新芽・若葉を出す。
春の旬の味はこっちのほうが濃いかもしれないと考えたが、結果はどうだろう。
一扇磨春の散茶緑印
『一扇磨春の散茶2016年・緑印』。
”緑印”と名付けたのは、他にも一扇磨春のお茶が2種あるから。一扇磨は広くて、いたるところに茶地が点在している。茶地や製法や采茶日の違う3種のお茶を”緑印”・”黄印”・”青印”と分けることにした。いずれも生茶のプーアール茶ではあるが、風味は異なる。
一扇磨の森
一扇磨
茶地
緑印の茶地は、一扇磨の山頂に近いところにある。村からバイクで1時間ちょっと山を登って、そこからさらに歩いて1時間ちょっとの山頂付近。尾根から下がった風裏の斜面に茶地がある。
古茶樹
古茶樹の幹
茶葉
茶樹の混生
樹齢数百年になる茶樹が4本と、清代末期に植えられた樹齢100年から150年くらいの茶樹が十数本と、2005年頃に農家が苗を植えた数十本とが混生している。
村から遠くて茶摘みのアルバイトを手配するのもたいへん。
新芽・若葉の育ち具合がわからないまま山奥へ入るので、そのときタイミングの合う茶樹だけを選んで采茶される。
樹齢によって新芽・若葉の出るタイミングが異なる。
初摘みは3回行われたが、この緑印は2回めになる3月28日。樹齢100年から150年くらいの茶樹がメイン。
晒青毛茶に仕上がったのは5キロ。圧延加工して、『一扇磨青餅2016年・緑印』として出品する予定。
一扇磨春の散茶2016年洗茶
泡茶
発色の良い緑色は、農家の殺生(鉄鍋炒り)の炒り具合が深くなったせいである。意識してそうしたわけではなく、摘みたての鮮葉に水分が少なかったせいで、いつものように炒ったら結果的にこうなったのだ。
春特有の茶醤が多くネタネタと手にくっつく。柔らかい繊維で、ちょっと揉んだだけでしっかり捩れてくれる。
揉捻を強く仕上げたように見えるが、これもいつものようにしただけこのと。意図したわけではない。茶摘みのタイミングが良かったのだ。
茶油
ヒヤッと涼しい口当たり。
甘く錯覚するほどの密度の濃い水質。
シュワシュワと炭酸のように弾けて消える渋味・苦味。
フワッと上昇する茶気。
白花の甘く薫る香気。
飲んだ後の喉元にスースーとミントの風。
春の空気が宿っていると思う。
葉底

景洪市内のお茶屋さんには春の茶葉のサンプルが集まりだしている。浙江省の茶商が自ら布朗山でつくったお茶を試飲していたところに、たまたま出くわした。
「今年は難しかった」。
と言うので、どこが難しかったのか?と聞いたら、春の味の茶葉が少ないという。やはり同じ問題に気付いているようだ。
それだけじゃない。年々お茶づくりが難しいと嘆いている。
その理由は、
1.自然環境が破壊された。
2.農家が利益を追求しすぎてまともな仕事ができない。
3.お客様の買う茶葉の量が減っている。
みんな同じようなことを言うのだな。

漫撒一水紅茶2016年 その1.

製造 : 2016年4月3日
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山(旧易武山)香椿林
茶廠 : 農家
工程 : 晒干紅茶
形状 : 散茶
保存 : 西双版納
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : マルちゃんの茶壺
香椿林の森上
香椿林の森下

お茶の感想:
今年の春はすべて”一天一采”にした。
昨年11月に宣言したとおり、茶摘みの日ごとにお茶づくりを分けた。
生茶と紅茶の二種しかないが、日付や茶山や茶樹で分けると14種のお茶になった。
そのうち何種かは圧延加工するときにブレンドするので、最終的には8種くらいになるだろう。
製茶をしっかり学ぶことができた。
学んだことの内容が後から徐々にはっきりしてくる。
茶葉の成長具合や天候がどのようにお茶づくりに影響するのか。影響の”揺れ”を把握するのに一天一采は良い方法だった。
すべてがつながっている。すべてが茶葉に記録されて、お茶の味に現れる。
振り返ってみると、今年の春の天候は良いほうだった。
悪天候に悩まされた昨年に比べて、茶の香りがよく、産量も全体的に多かった。
一天一采なのでたくさんつくることはできないけれど、多種つくることができたのは天気が良かったせい。
采茶上
采茶中
采茶下
春のお茶づくりが盛んになるとみんなの気持ちが高ぶって山が騒がしくなる。
山の農家で製茶をしていると茶商たちが訪ねてきて、「あの山のお茶が美味しい」とか、「過去最高の値段がついた」とか、いろんな情報を聞かせてくれる。
あの山のお茶もつくりたいし、この山のお茶で新しい製法を試したいし、アイデアがいっぱい浮かんでくる。
ゴールデンタイムはほんの数日。
この数日にできることは少ない。
二兎を追う者は一兎をも得ず。
どれかひとつに集中するしかない。
自ら製茶するとは、そういうこと。他人の手でつくられたお茶ならいろいろ選べるが、自分の手はひとつしかない。
今年は漫撒山の香椿林の森の30本ほどの古茶樹にゴールデンタイムの勝負を掛けた。
漫撒山地区には、刮風寨、丁家老寨、白茶園など、行きたい茶地、つくりたいお茶は他にもあるけれど、その選択を捨てなければひとつに集中できない。
香椿林のゴールデンタイムは4月3日だった。うまくゆけば、その1日で10キロほどの毛茶(原料となる散茶)ができる皮算用だったが、結果は1.9キロに終わった。
籠に鮮葉
農家に裏切られた。
4人か5人集めるはずだった茶摘みのアルバイトが1人しか来なかった。
この日、地域一帯が茶摘みのピークを迎えて、アルバイトが不足していたので仕方ないと諦めていたが、実は農家はそのアルバイトを他に回して、こちらが狙っていた香椿林の茶葉を摘ませなかったのだ。偶然や不注意ではなく、故意の可能性が高いことに後から気がついた。
なぜ農家はそんなことをしたのか?
推測するに、摘まないで残しておけば、他の茶商にもっと高価に売れると考えたのだろう。
当初は、4月6日が香椿林のゴールデンタイムになると農家は見積もっていた。しかし、天気が崩れる予報がでているので、4月3日に前倒しした。3日間早い分、茶葉はまだ小さく重量も少ない。収穫量が3割ほど減って農家の収入も減る。
茶葉がしっかり成長するのを待ってから摘む。そして他の茶商に売る。
「日本から来ている茶商が狙っていた茶樹ですよ」とアピールすると、5割は高く売れるだろう。
農家がちょっと相談してくれたら5割くらい多めにお金を出したのに・・・と思うが、漫撒山の農家はズルいところを隠したいから、本音を言わない。
そこまで先読みして先手を打つべきだった。
空に雲
後になって言えることだが、数日後の茶摘みは天候が崩れて、農家の企みは空振りに終わった。
特別なお茶にならないどころか、天日干しのスッキリしない味となって、売れ残っているはずだ。
運が良ければ品質にこだわらない茶商が買ってくれるが、価格はそれなりだろう。
有名茶山ではよくあること。
人間の欲がお茶をダメにする。
ちょっと離れたところから見ると、この地域特性は良くも悪くも作用して、結果的に素朴で自然なお茶になる。
乾きたての毛茶
1.9キロできた紅茶。
『漫撒一水紅茶2016年』。
180gサイズに圧延すると10枚にしかならない。
仕事としては失敗だが、学んだことはたくさんある。
”一水”と名付けたのは、前夜の4月2日に雨が少し降ったからだ。
漫撒山ではこの春はじめての雨らしい雨となった。といっても、ほんの5分ほどで止んだ。雷の音と突風が激しかったけれど、雨の量は少なくて、農家の庭の土の地面は10分もしたら元の乾いた状態に戻った。しばらくしたら空には星がたくさん見えていた。
香椿林の森は深いから、草が濡れると歩くことすら困難になるが、その心配はなかった。
バイク
お茶の味に影響はないだろう。
農家も自分もそう判断した。土に雨水が染み込む前に蒸発したので、根から茶葉に水が供給されていない。そう考えたのだが、これは間違っていた。
茶葉から水を吸う。雨粒を浴びたり、空気中の水を吸ったりする。
茶葉と手
次の日、朝からスッキリ快晴だったが、摘んだ茶葉を入れた竹籠の中で、茶葉は汗をかくほど水を吐き出していた。
このままでは蒸れるので、応急処置で芭蕉の葉を地面に敷いて水を蒸発させた。
芭蕉の葉の上で萎凋
萎凋にもなる。
だんだん萎れてしんなりする。
午後3時の持ち帰るときになってもまだ水分が多くある。手の感触でわかる。天気はよくても、空気が湿っているから乾きにくいのだ。
農家に持ち帰ってからも萎凋をつづける。太陽が沈んで、食事を済ませて、午後9時から手揉みの揉捻をはじめたが、まだ水分が多い。しかし、これ以上待つと次の工程の軽発酵に進めない。翌日は太陽が出てからすぐに晒干(天日干し)をはじめなければ、一日で乾き切らないだろう。
8キロほどの鮮葉をひとりで揉んで揉んで、深夜12時まで4時間ほどかかった。
水分が多いせいか、茶漿と呼ぶ茶葉の汁に粘着力がなくて、繊維が硬くて、揉んでも揉んでもなかなか捩れない。
揉捻
揉捻の茶葉
農家が故意に、柔らかい新芽・若葉を避けて大きく成長したカタイ茶葉をアルバイトに積極的に摘ませたこともまた影響している。揉捻中にひとつひとつ取り除きながら手揉みするので、余計に時間がかかる。
強い揉捻によって軽発酵が促されて、その後はスムーズだった。翌日の晒干は一日で終わった。午後4時頃にクルマに茶葉を積んで町へ帰って、すぐに巴達山へと移動したので、試飲するのは今回がはじめて。
漫撒一水紅茶2016年
漫撒一水紅茶2016年
クラっとくるくらい美味しい。
水の味はあるにはあるが、そのぼんやり感がなんともいえない奥ゆかしい表現となって個性を引き立てている。
銘茶は美人。
美人はどこを取っても美しい。
4月2日はやはり香椿林のゴールデンタイムだった。
漫撒一水紅茶2016年 茶色

4月3日に農家が茶摘みのアルバイトを別の茶地に回して摘んだ茶葉がある。
一扇磨の森の中だが、これはむしろ収穫が多すぎたために、農家が製茶を慌ててしまった。
萎凋の水分コントロールが丁寧にできないまま殺生(鉄鍋炒り)したので、殺生後も水分をたくさん持ったまま翌日を迎えた。天気は良くても、一日でスッキリと乾き切らない。意図しない軽発酵がすすんで、茶葉が黄色っぽく変色する。生茶に求めるスッキリ感が失われる。
欲を張るから失敗する。
農家の性格の問題をあらかじめ察知できなかったのは、自分の失敗。

章朗古樹春天散茶2016年 その1.

製造 : 2016年4月
茶葉 : 雲南省西双版納州孟海県巴達山章朗寨古茶樹
茶廠 : 巴達山製茶農家
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 散茶
保存 : 西双版納 密封
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : マルちゃんの茶壺
漫撒山の雲

お茶の感想:
春のお茶づくり後半戦。
漫撒山の天気が再び崩れて想い通りのお茶がつくれない。
さらに、協力している農家がもっと儲けたい欲にかられて非協力的になっている。
さて、どうするか。
このまま漫撒山で粘るか、それとも他の茶山に移るか。
天気予報をたしかめて、思い切って巴達山に移動することにした。
西双版納の東の端から西の端へ、ラオスに近い山からミャンマーに近い山へ、クルマを手配して2日間かけて移動した。
途中、町のアパートに戻って数時間仮眠したはずだが、疲れすぎてほとんど記憶が無い。
巴達山からミャンマーを望む
巴達山の森
天気予報は的中して巴達山の天気は良好。
4月5日から8日の午後まで、天日干しに頼るお茶づくりはスッキリと仕上がった。
西双版納のほとんどの茶山がこの間に少し雨が降ったから、正しい判断だった。
気候が涼しい巴達山は、他の茶山に比べて春が遅い。その分、雨が降るまでに数日間の余裕ができる。
4月8日の午後3時に天日干しのお茶が乾いて、片付けたとたんに、さっきまで晴れ上がっていた空を黒い雲が覆いはじめて、山を降りて町へ帰るクルマは暴風雨の中を走った。
街路樹の枝がへし折られて道をふさぐほど強い風が吹いた。台風のような湿った温かい空気は春から夏へと季節の変化を伝える。
巴達山の天気が崩れる
天気が回復したらまだ少しは春のお茶がつくれるかもしれないが、水分が多く繊維のカタイ茶葉となって、春らしさは薄れるだろう。
黒い雲
この地域を代表するダイ族の年越しの撥水節が数日後にはじまる。通り過ぎたいくつかの村には華やかなタイシルクの正装の女性たちを見かけた。
春は終わった。
もう心配しなくてもよい。天気も、茶葉のコンディションも、茶摘みのタイミングも、悪いことを企む人も、高騰して安くないお茶が売れないことも。ゆっくり寝て重労働で熱を持つ筋肉や関節を冷まして、酒を飲んで、うまいものを食べて、道具の後片付けをしよう。できた茶葉を圧延加工するのがつぎの仕事だが、じっくり試飲してから、どんな調整をしたらよいのかを考えて、5月中旬くらいまでに済ませたらよいだろう。もう急ぐことはない。
この2016年の春は結果的に予想よりも少ない量しかつくれなかった。けれど内容には満足している。
章朗古樹春天散茶2016年
『章朗古樹春天散茶2016年』。
このお茶づくりに、ちょっとしたアクシデントがあった。
それは章朗寨の森で鮮葉を集めたときのこと。
章朗寨の森
章朗寨の森はそれほど大きくないが、それでもより自然な環境で健康的に育つ古茶樹をもとめて探し歩く時間が年々長くなっている。
章朗寨の森で最後の収茶の日となった4月7日、これぞという大きな茶樹に布朗族のおじさんが登って茶摘みをしていた。肩にかけている袋と茶樹の幹に置いてある袋に摘みたての鮮葉がギッシリ詰まっている。
今摘みたての鮮葉。
間違いない。偽物はない。小さな茶樹の鮮葉を混ぜる余地なんてない。茶葉の深い緑色と、銀色の艶と、細く尖ったカタチを見ても、森の古茶樹の特徴が現れている。
古茶樹の上
古茶樹の中
古茶樹の下
売って欲しいと交渉すると、あっけなくOK。価格もそこそこ。持参した袋に詰め替えて電子はかりで量っていると、どこからか高校生くらいの男の子が飛んできて、「この茶葉は僕らが予約したものです!」と言う。男の子は怒って、茶摘みのおじさんとなにかモメていたが、布朗族の言葉なのでわからない。
「先約があるのなら要らない」と言って、その場を離れて別の茶樹を探すことにした。
それから1時間ほど歩いただろうか。条件に合う古茶樹はいくつか見つかったが、いずれも茶摘みされた後だった。
3日間つづけて森に入ったが、欲しい鮮葉が一日一日減ってきたのを見ているから、あきらめがつく。
春が終わるということなのだ。
仕方なしに帰る道、またあのおじさんのところを通った。まだ茶樹に登って茶摘みをつづけていた。
「半分残すように交渉したから、コレ売ってやる!」
と、おじさんが言う。
古茶樹の上で茶摘するおじさん
茶樹の幹に置かれた袋に3キロほどの鮮葉が詰まっている。見て触って、間違いなくホンモノだった。「今摘んでいるのも分けるから、ちょっと待ってくれ」と言う。おじさん2人が茶摘みする茶樹の下でしばらく待って、合計5キロほどの鮮葉が集まった。5キロはちょうど鍋で炒って殺生する1回分で、水分の少ない春の茶葉なら1.2キロほどの晒青毛茶になる。
おじさんが茶葉を残してくれたのは、自分に付き添って森に入った賀松寨の村長の息子の顔が利いたからかもしれない。鮮葉を売るおじさんからしたら、どちらも大事なお客様だから配慮したのだろう。
この4本か5本の大きな茶樹から採取された鮮葉で生茶をつくることにした。紅茶をつくるにしては少なすぎて軽発酵がうまくゆかない。
鮮葉
巴達山はその日から停電。殺生の鉄鍋で炒る作業は、星の輝く空の下でヘッドランプをつけて行った。鍋の炉に火を入れて、初回の炒りは鉄鍋の温度が安定しないため、わざわざ安い台地茶の茶葉を炒った。そして2回目に本番の古茶樹を炒った。このシーズン最後の1鍋。今年の春は農家の手伝い分もあわせると30鍋は炒っただろう。1鍋30分として計算しても、熱い鍋に炙られ汗をかきながら15時間は茶葉を炒ったことになる。最後のこの1鍋は、30鍋の中でも最高の仕上がりかもしれない。そんな手応えがあった。
火
次の日の夕方、巴達山でつくったすべてのお茶をクルマに積んで山を降りる前に、章朗寨の村長の家に立ち寄った。レンタカーで町から迎えに来てくれた北京の茶友が巴達山初訪問だったので、村の見学を希望していた。
たまたま村長の息子が玄関に居た。
「北京の茶友が茶葉を買うかもしれないから、試飲させて欲しい。」
そう言うと、素早く席を用意してくれた。産地訪問ツアーの団体客が来た直後で散らかっていたが、茶器をキレイに洗いなおしてくれた。
「春一番の自信作を飲ませて欲しい。」
どこへ行ってもそう言うのだが、自信作はすぐには出てこない。まずは3番目くらいから試される。試すつもりが試される。もしも3番目を満足して買うなら、売る側としてはとても都合が良い。
「渋いな、こんなはずないだろ。葉底が黄色い。古茶樹じゃないかも。」
そう言うと、倉庫の奥にあるダンボールからもっと良いのを出してくる。
2つ目のお茶は良かった。なかなか良いと褒めたら、章朗寨の村長の息子はヘンなことを言い出した。
「そりゃそうでしょ、あなたの選んだ茶樹だから。」
なにのことを言っているのかわからなかったが、しばらくしてピンときた。
昨日のおじさんの茶樹だ。
章朗寨の村長の息子はボツボツと話しだした。
昨日、森から帰ってきたアルバイトのひとりが、半分を横取りされたと言った。彼は昼ごはんも食べずに茶摘みの終わるのをずっと待っていた。
そう、あの男の子は村長の家が雇ったアルバイトだったのだ。
集めた鮮葉
上質な茶葉を採取するために、村長の家は今年の春に4人のアルバイトを雇って、森に入ってこれぞという茶樹の下で茶摘みを待つように指示して鮮葉を集めた。古茶樹といっても、剪定したり採光したり鍬入したりして産量を増やすと、森の香気や滋味は逃げる。さらに、近年は古茶樹の間に小さい茶樹を植えて混ぜてしまう農家も増えてきた。だから大きな茶樹の下で茶摘みを待つ方法でないと、本来の味を再現できない。
村長の家もまた、森のお茶の味を認めているのだ。
「アルバイトが鮮葉を集めるやり方で、今年の春は何キロのお茶をつくった?」
そう聞くと、
「200キロ弱です。」
と、村長の息子は答えた。
章朗寨の森
章朗寨の森の古茶樹
4月5日から4日間、章朗寨の森で採取してつくった自分のお茶は合計13キロほどで、200キロからしたらたいしたことはないが、茶樹の下で待つ方法で鮮葉を集めた人が他に居ないとしたら、本来は2トンか3トンあるはずの春の古茶樹のほとんどが、すでに本来の味を失っているということかもしれない。
1本の古茶樹に1キロ分のお茶がつくれると計算したら、200キロは200本分。たった200本を奪い合うことになる。
こんな仕事辛すぎる。
真実を求めるのが難しすぎると、その副作用が生じてくる。めぐりめぐってお茶を飲む人にもなにがしかの負荷がかかるだろう。
この出来事は、自分の中でひとつの区切りになった。競争を避けることをもっと意識しようと思う。
さて、このお茶を試飲してみた。
章朗古樹春天散茶2016年
章朗古樹春天散茶2016年
思ったほど美味しくはない。特別なことなどない。それどころか、抽出の時間を長くとると強い渋味が出てくる。
自然環境も茶樹も采茶のタイミングも製茶も天候もカンペキだった。お茶の味にはたしかに健康な森の味が宿っている。製茶における欠点はこれといって見つからない。それなのにたいして美味しくない。
北京の茶友は「差不多」(たいして差がない)と評価した。そして彼はどちらも買わなかった。
もしかしたら2016年の春の巴達山のお茶はどれもたいして美味しくないのかもしれない。2012年の春はもっと美味しかった印象がある。
お茶の味の謎は尽きない。
葉底
結果的に漫撒山から巴達山に移った判断は間違っていたのだろうか。

1

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