巴達山熟紅茶2010年 その1.
采茶 : 2010年4月
加工 : 2016年12月
茶葉 : 雲南省西双版納州孟海県巴達山曼邁寨古茶樹
茶廠 : 農家+店長
工程 : 紅茶の熟茶
形状 : 散茶
保存 : 西双版納
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : チェコ土の茶壺
お茶の感想:
紅茶の渥堆発酵を試している。
6キロほどの小堆発酵。
この餅茶を崩して原料にした。
+【巴達古樹紅餅2010年紅茶】
小堆発酵の試みを始めてから2ヶ月。まだひとつも完成していないが、この紅茶は発酵開始から2週間めで、すでに美味しい。
生茶は何袋か(数十キロ分)失敗している。現在2週間めの新しい数袋分も、今すぐ飲んで美味しくなっていない。渋味や苦味にまだ若い生茶の棘がある。
このお茶『巴達山熟紅茶2010年』(仮名)は、最初の1袋だけ失敗したが、2袋めからうまくいっている。
水分や温度を同じように管理していて、生茶に失敗が多くて、紅茶に失敗が少ない。
通気が悪かったのではないか?
小堆発酵が失敗する原因に気付いたのも、この紅茶の試みが裏付けとなっている。
紅茶に製茶した茶葉は粘着力が少ない。
粘着力が少ないと、餅茶の圧延加工が緊密に固まらない。生茶はカチカチで茶針で崩さなければならないが、紅茶はゆるくて手で崩せる。
小堆発酵の袋の中でも同じ。
緊密になりにくいので茶葉と茶葉の間に小さな隙間ができる。
通気が良いと、同じように加水しても蒸発が早い。
蒸発が早いと、発熱している時間が短くなって、平均的な茶葉の温度は低めに保たれる。
渥堆発酵スタートから数日内は黒麹菌がつくるクエン酸によって酸っぱいお茶になっていたし、数日後からは酸っぱいのが消えて徐々に甘くなっていた。
水分が多いときの小堆の中心部は55度に達していたし、水が多過ぎて失敗した1袋めは酵母や乳酸の仕業と思われる発酵臭がプンプンしていた。これは後に熟茶っぽい味になった。
同じ微生物が活躍しても、水分や温度の環境によって異なる結果が得られる。異なる成分がつくられる。
水をさらに少なくすると紅茶の味のままで熟茶の味がしない。
これがちょっと不思議な感じ。
なにも説明なしに飲んだ人は微生物発酵していることに気付かないだろう。生茶と熟茶の違いは明らかなのに、紅茶と熟紅茶は似ている。
過去に飲んだことのある20年モノの老紅茶にこんな味のがあったような気がする。
その茶葉は無加水で微生物発酵していたのかもしれない。
そこで仮説を立ててみる。
もしかしたら生茶も、水分をもっと減らしたら熟茶味を抑えた発酵になる。
生茶は生茶らしさを保って、老茶に似た味になる。
近年の生茶(1990年頃から現在)は新鮮な緑茶のままで売られているが、昔は違った。
ちゃんと微生物発酵した黒茶だった。
加水して渥堆発酵したのではなく、無加水で渥堆発酵していたのだ。
殺生して揉捻して晒干して、できた原料の散茶(緑茶)を、工房の倉庫に無造作に山積みしていた。圧延加工するまでの期間。
(写真は熟茶の渥堆発酵のものだが、堆積はこんな感じ。)
1950年以前の易武山の私人茶荘の工房にしても、1950年から1980年代の孟海茶廠の倉庫にしても、現在よりも湿気対策は甘かっただろう。さらに、茶山の農家から倉庫にゆくまでの道のりは遠かった。車やバイクは通れない悪路が多くて、馬やロバがゆっくり運んでいた。雨に濡れることもある。
4月中頃から雨季になる。
春の茶摘みが終わったらとたんに夏が来る西双版納の気候では、5月に圧延加工をはじめたとしても、茶が湿って、黒麹菌が増殖して、堆積した中心部から発熱する条件は十分に整う。
ここでひとつ思い当たることがある。
1980年代の孟海茶廠の生茶の定番『7532青餅』・『7542青餅』の、餅茶の表側に配された新芽・若葉が、あまりに小さくて、現在ではこの仕事を再現できない。
早春の6日間の小さな新芽・若葉だけでつくってみた『易武春風青餅2011年』の餅面を見ても、こんなに小さな新芽・若葉にはならない。
昔のことだから、人手を集めて特別に小さな新芽・若葉だけを選り分けたのではないか?と考えていたのだが、そうじゃない。
微生物発酵によって茶葉がひとまわり小さくなっているのではないか?
熟茶は、茶葉がふたまわりくらい小さくなる。
香港の倉庫での後発酵もあっただろうが、すでに餅茶になった状態で微生物発酵をゼロからスタートさせるのは難しい。
現在の香港の倉庫に近い環境の広州でこの味が再現できないのは、近年の生茶(1990年頃から現在まで)の茶葉に、微生物発酵はなく、黒麹菌のつくった酵素が残されていない。酸化を防ぎながら熟成変化を促す酵素がないから、茶葉は湿気って悪い味になる。
この仮説を現物で証明する。味を再現する。
それがこの仕事のゴールになる。
加工 : 2016年12月
茶葉 : 雲南省西双版納州孟海県巴達山曼邁寨古茶樹
茶廠 : 農家+店長
工程 : 紅茶の熟茶
形状 : 散茶
保存 : 西双版納
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : チェコ土の茶壺
お茶の感想:
紅茶の渥堆発酵を試している。
6キロほどの小堆発酵。
この餅茶を崩して原料にした。
+【巴達古樹紅餅2010年紅茶】
小堆発酵の試みを始めてから2ヶ月。まだひとつも完成していないが、この紅茶は発酵開始から2週間めで、すでに美味しい。
生茶は何袋か(数十キロ分)失敗している。現在2週間めの新しい数袋分も、今すぐ飲んで美味しくなっていない。渋味や苦味にまだ若い生茶の棘がある。
このお茶『巴達山熟紅茶2010年』(仮名)は、最初の1袋だけ失敗したが、2袋めからうまくいっている。
水分や温度を同じように管理していて、生茶に失敗が多くて、紅茶に失敗が少ない。
通気が悪かったのではないか?
小堆発酵が失敗する原因に気付いたのも、この紅茶の試みが裏付けとなっている。
紅茶に製茶した茶葉は粘着力が少ない。
粘着力が少ないと、餅茶の圧延加工が緊密に固まらない。生茶はカチカチで茶針で崩さなければならないが、紅茶はゆるくて手で崩せる。
小堆発酵の袋の中でも同じ。
緊密になりにくいので茶葉と茶葉の間に小さな隙間ができる。
通気が良いと、同じように加水しても蒸発が早い。
蒸発が早いと、発熱している時間が短くなって、平均的な茶葉の温度は低めに保たれる。
渥堆発酵スタートから数日内は黒麹菌がつくるクエン酸によって酸っぱいお茶になっていたし、数日後からは酸っぱいのが消えて徐々に甘くなっていた。
水分が多いときの小堆の中心部は55度に達していたし、水が多過ぎて失敗した1袋めは酵母や乳酸の仕業と思われる発酵臭がプンプンしていた。これは後に熟茶っぽい味になった。
同じ微生物が活躍しても、水分や温度の環境によって異なる結果が得られる。異なる成分がつくられる。
水をさらに少なくすると紅茶の味のままで熟茶の味がしない。
これがちょっと不思議な感じ。
なにも説明なしに飲んだ人は微生物発酵していることに気付かないだろう。生茶と熟茶の違いは明らかなのに、紅茶と熟紅茶は似ている。
過去に飲んだことのある20年モノの老紅茶にこんな味のがあったような気がする。
その茶葉は無加水で微生物発酵していたのかもしれない。
そこで仮説を立ててみる。
もしかしたら生茶も、水分をもっと減らしたら熟茶味を抑えた発酵になる。
生茶は生茶らしさを保って、老茶に似た味になる。
近年の生茶(1990年頃から現在)は新鮮な緑茶のままで売られているが、昔は違った。
ちゃんと微生物発酵した黒茶だった。
加水して渥堆発酵したのではなく、無加水で渥堆発酵していたのだ。
殺生して揉捻して晒干して、できた原料の散茶(緑茶)を、工房の倉庫に無造作に山積みしていた。圧延加工するまでの期間。
(写真は熟茶の渥堆発酵のものだが、堆積はこんな感じ。)
1950年以前の易武山の私人茶荘の工房にしても、1950年から1980年代の孟海茶廠の倉庫にしても、現在よりも湿気対策は甘かっただろう。さらに、茶山の農家から倉庫にゆくまでの道のりは遠かった。車やバイクは通れない悪路が多くて、馬やロバがゆっくり運んでいた。雨に濡れることもある。
4月中頃から雨季になる。
春の茶摘みが終わったらとたんに夏が来る西双版納の気候では、5月に圧延加工をはじめたとしても、茶が湿って、黒麹菌が増殖して、堆積した中心部から発熱する条件は十分に整う。
ここでひとつ思い当たることがある。
1980年代の孟海茶廠の生茶の定番『7532青餅』・『7542青餅』の、餅茶の表側に配された新芽・若葉が、あまりに小さくて、現在ではこの仕事を再現できない。
早春の6日間の小さな新芽・若葉だけでつくってみた『易武春風青餅2011年』の餅面を見ても、こんなに小さな新芽・若葉にはならない。
昔のことだから、人手を集めて特別に小さな新芽・若葉だけを選り分けたのではないか?と考えていたのだが、そうじゃない。
微生物発酵によって茶葉がひとまわり小さくなっているのではないか?
熟茶は、茶葉がふたまわりくらい小さくなる。
香港の倉庫での後発酵もあっただろうが、すでに餅茶になった状態で微生物発酵をゼロからスタートさせるのは難しい。
現在の香港の倉庫に近い環境の広州でこの味が再現できないのは、近年の生茶(1990年頃から現在まで)の茶葉に、微生物発酵はなく、黒麹菌のつくった酵素が残されていない。酸化を防ぎながら熟成変化を促す酵素がないから、茶葉は湿気って悪い味になる。
この仮説を現物で証明する。味を再現する。
それがこの仕事のゴールになる。