刮風寨単樹2号2018年 その1.
製造 : 2018年4月13日(采茶)
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山(旧易武山)刮風寨茶坪
茶廠 : 農家と店長と茶友たち
工程 : 生茶
形状 : 散茶100g
保存 : 西双版納 密封
茶水 : 農夫山泉・四川省
茶器 : 宜興の茶壺・グラス杯・鉄瓶・炭火
お茶の感想:
前回の更新日付を見たら1ヶ月も経っていた。
お茶づくりに集中して茶葉のほうを向いていると、言葉があまり浮かんでこない。
お茶のことは身体が覚えている。茶葉には物理的にすべてが記録されている。
茶葉に形状記憶されたものが、味や香りとなって再現される。
今年の春は良かった。
いろんなことが重なり合った。
2009年からお茶づくりにかかわるようになって9年目ではじめてスッキリできた気がする。
夢が叶った。
前回の記事に書いたように、はじめは丁家老寨の古茶樹を追ったのだが、いろいろうまくゆかなくて刮風寨に移った。
刮風寨は人気のお茶どころで、これまでとは事情の違うところがあるが、今回は茶友たちに助けられた。茶友らは自分より10日先に山に入って、準備をしたり、旬のタイミングを計ったりしていた。彼らは刮風寨を追いかけて3年目になる。その経験が活かされた。
6人ほどのチームプレイはピッタリ息が合っていた。声もでなくなるほどの重労働でヘトヘトになりながら、奇跡の数日にみんなk興奮ぎみだった。誰も口には出さないが、自分たちがこの春一番かもしれないと思っていたはずだ。
山にいた期間は10日間。オリジナルのお茶を4種ほどになると思うが、4種合わせても10キロあるかないか。茶友たちの分を合わせても約60キロ。そのうち生茶のプーアール茶が45キロ。紅茶が15キロ。
6人は収茶(茶摘みを監視して鮮葉を集めて村へ持ち帰る)と製茶に集中して、茶摘みは農家が雇った13人の苗族の部隊が山小屋に住み込みで働いた。全員合わせたら19人。
19人で10日間(茶摘みは8日間)で60キロ。これでも数年に一度あるかないかの豊作。
体力の限界だし、これ以上人手を増やすと質を落とすし、天気の良い日はそう長く続かないし。
(製茶場にテントを張って24時間の監視体制)
刮風寨の山から降りてすでに10日以上経つが、筋肉や関節がまだ熱を持ったまま圧餅加工をはじめたので、疲労の限界に達したのか、ついに身体が動かなくなった。
捻挫した足首やら、毒虫に噛まれた跡やら、竹の道具のトゲが刺さったままになっているのやら、あちこちの痛みが出てくる。
休養がてらとりあえず2015年の下見のときの刮風寨の写真をまとめた。
+【刮風寨 古茶樹】
今回つくったお茶の紹介ページはこれから半年ほどかけてアップする。
今回の写真はあまり多くない。忙しすぎてそれどころじゃなかった。
写真はなくても茶葉という現物がある。写真よりもずっと確かな証拠。
チームプレイの結晶と言える刮風寨単樹のお茶2本。2018年4月13日采茶。
とりあえず1号・2号と名付けている。
左:単樹1号100g
右:単樹2号100g
それぞれ1キロほどつくれて、自分は100gずつ分けてもらうことにした。出品しないで勉強会で自らお茶を淹れる。
そのうちの1本は2016年にも一度つくっていて、そのとき自分は刮風寨の現場にいなかったので友人に分けてもらって、ブログにも登場している。
+【刮風寨単樹小餅2016年 その1.】
今のところ自分の手元にある新しい生茶のプーアール茶ではいちばん美味しいお茶だが、2018年の春はこれを超える。
美味しさといい体感といい、奇跡のお茶。良すぎるのが怖いくらい。というのも、今年の春のように恵まれることはめったにないから。美味しいお茶のできた次の年はたいがい美味しくないことも何度か経験している。
地域全体の森林の環境破壊がますます進んでいるのを目の当たりにしている。
茶友らのリクエストで、単樹2号の殺青は自分が担当した。
今年の春は一鍋5キロの殺青を合わせたら30鍋はしただろうか。自分のお茶でなくても農家の手伝いもして経験を積んだ。
数年前まで易武山の殺青は平鍋と呼ぶ水平に据えられた鉄鍋が主流だったが、鍋の中で茶葉をひっくり返すのにチカラが要ってたいへんなので、近年はすべて斜鍋に置き換わっている。このため、熱のとおり具合が変わって、茶葉が乾燥ぎみに仕上がるようになった。生茶のプーアール茶らしくないと考えているので、斜鍋でも茶葉の水分を逃さないよう手加減を工夫した。茶友たちもこの方法に賛同してくれたので、われわれの生茶はひと味ちがうはず。
刮風寨単樹2号。今日は2号のほうを飲む。ひとりで飲むのははじめて。
下から見たら樹高10メートルくらいと思っていたが、木登りした苗族の話では15メートルらしい。
2年前の2016年に茶友が収穫を試みたが、あまりに少なくて、一鍋3キロにも満たないので殺青がうまくゆかないと判断して、陰干しと天日干しで白茶風に仕上げていた。茶友らが集まるたびに飲んで無くなったが、記憶しているその味とよく似ている。
製茶が違うし、しっかり火を通したので白茶の味はしないが個性は同じ。
鮮葉は4.5キロ。殺青の一鍋分しかない。一打席でホームランを打たなきゃならない。火加減を間違って焦がしたらパーになる。かといって火を弱めたら弱気が宿る。できた散茶約1キロを数人で分けて、みんな圧餅しないで散茶のまま飲み切るつもりだから、殺青が完成度を決める。強気に高温で攻めたら、みんなの緊張感を背中に感じた。
刮風寨の山から降りて自分ひとりで圧餅の準備などをしていたときに、茶友ら数人はまた刮風寨に戻って数日を過ごしていた。
彼らが降りてきたときに「なにしていたの?」と聞くと、「なにもしなかった。」らしいのだ。
古茶樹の新芽・若葉はまだまだあって、鮮葉は毎日のように収穫されるので仕入れてお茶づくりができたのに、なにもせずにただボーっと他人のお茶になってゆくのを眺めていたらしい。
旬のいちばん良いタイミングを外しているのがわかるからだろう。
命の燃えるような輝きはほんの数日しか宿らない。その輝きを知ったら春の1ヶ月のほとんどの日はくすんで見える。
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山(旧易武山)刮風寨茶坪
茶廠 : 農家と店長と茶友たち
工程 : 生茶
形状 : 散茶100g
保存 : 西双版納 密封
茶水 : 農夫山泉・四川省
茶器 : 宜興の茶壺・グラス杯・鉄瓶・炭火
お茶の感想:
前回の更新日付を見たら1ヶ月も経っていた。
お茶づくりに集中して茶葉のほうを向いていると、言葉があまり浮かんでこない。
お茶のことは身体が覚えている。茶葉には物理的にすべてが記録されている。
茶葉に形状記憶されたものが、味や香りとなって再現される。
今年の春は良かった。
いろんなことが重なり合った。
2009年からお茶づくりにかかわるようになって9年目ではじめてスッキリできた気がする。
夢が叶った。
前回の記事に書いたように、はじめは丁家老寨の古茶樹を追ったのだが、いろいろうまくゆかなくて刮風寨に移った。
刮風寨は人気のお茶どころで、これまでとは事情の違うところがあるが、今回は茶友たちに助けられた。茶友らは自分より10日先に山に入って、準備をしたり、旬のタイミングを計ったりしていた。彼らは刮風寨を追いかけて3年目になる。その経験が活かされた。
6人ほどのチームプレイはピッタリ息が合っていた。声もでなくなるほどの重労働でヘトヘトになりながら、奇跡の数日にみんなk興奮ぎみだった。誰も口には出さないが、自分たちがこの春一番かもしれないと思っていたはずだ。
山にいた期間は10日間。オリジナルのお茶を4種ほどになると思うが、4種合わせても10キロあるかないか。茶友たちの分を合わせても約60キロ。そのうち生茶のプーアール茶が45キロ。紅茶が15キロ。
6人は収茶(茶摘みを監視して鮮葉を集めて村へ持ち帰る)と製茶に集中して、茶摘みは農家が雇った13人の苗族の部隊が山小屋に住み込みで働いた。全員合わせたら19人。
19人で10日間(茶摘みは8日間)で60キロ。これでも数年に一度あるかないかの豊作。
体力の限界だし、これ以上人手を増やすと質を落とすし、天気の良い日はそう長く続かないし。
(製茶場にテントを張って24時間の監視体制)
刮風寨の山から降りてすでに10日以上経つが、筋肉や関節がまだ熱を持ったまま圧餅加工をはじめたので、疲労の限界に達したのか、ついに身体が動かなくなった。
捻挫した足首やら、毒虫に噛まれた跡やら、竹の道具のトゲが刺さったままになっているのやら、あちこちの痛みが出てくる。
休養がてらとりあえず2015年の下見のときの刮風寨の写真をまとめた。
+【刮風寨 古茶樹】
今回つくったお茶の紹介ページはこれから半年ほどかけてアップする。
今回の写真はあまり多くない。忙しすぎてそれどころじゃなかった。
写真はなくても茶葉という現物がある。写真よりもずっと確かな証拠。
チームプレイの結晶と言える刮風寨単樹のお茶2本。2018年4月13日采茶。
とりあえず1号・2号と名付けている。
左:単樹1号100g
右:単樹2号100g
それぞれ1キロほどつくれて、自分は100gずつ分けてもらうことにした。出品しないで勉強会で自らお茶を淹れる。
そのうちの1本は2016年にも一度つくっていて、そのとき自分は刮風寨の現場にいなかったので友人に分けてもらって、ブログにも登場している。
+【刮風寨単樹小餅2016年 その1.】
今のところ自分の手元にある新しい生茶のプーアール茶ではいちばん美味しいお茶だが、2018年の春はこれを超える。
美味しさといい体感といい、奇跡のお茶。良すぎるのが怖いくらい。というのも、今年の春のように恵まれることはめったにないから。美味しいお茶のできた次の年はたいがい美味しくないことも何度か経験している。
地域全体の森林の環境破壊がますます進んでいるのを目の当たりにしている。
茶友らのリクエストで、単樹2号の殺青は自分が担当した。
今年の春は一鍋5キロの殺青を合わせたら30鍋はしただろうか。自分のお茶でなくても農家の手伝いもして経験を積んだ。
数年前まで易武山の殺青は平鍋と呼ぶ水平に据えられた鉄鍋が主流だったが、鍋の中で茶葉をひっくり返すのにチカラが要ってたいへんなので、近年はすべて斜鍋に置き換わっている。このため、熱のとおり具合が変わって、茶葉が乾燥ぎみに仕上がるようになった。生茶のプーアール茶らしくないと考えているので、斜鍋でも茶葉の水分を逃さないよう手加減を工夫した。茶友たちもこの方法に賛同してくれたので、われわれの生茶はひと味ちがうはず。
刮風寨単樹2号。今日は2号のほうを飲む。ひとりで飲むのははじめて。
下から見たら樹高10メートルくらいと思っていたが、木登りした苗族の話では15メートルらしい。
2年前の2016年に茶友が収穫を試みたが、あまりに少なくて、一鍋3キロにも満たないので殺青がうまくゆかないと判断して、陰干しと天日干しで白茶風に仕上げていた。茶友らが集まるたびに飲んで無くなったが、記憶しているその味とよく似ている。
製茶が違うし、しっかり火を通したので白茶の味はしないが個性は同じ。
鮮葉は4.5キロ。殺青の一鍋分しかない。一打席でホームランを打たなきゃならない。火加減を間違って焦がしたらパーになる。かといって火を弱めたら弱気が宿る。できた散茶約1キロを数人で分けて、みんな圧餅しないで散茶のまま飲み切るつもりだから、殺青が完成度を決める。強気に高温で攻めたら、みんなの緊張感を背中に感じた。
刮風寨の山から降りて自分ひとりで圧餅の準備などをしていたときに、茶友ら数人はまた刮風寨に戻って数日を過ごしていた。
彼らが降りてきたときに「なにしていたの?」と聞くと、「なにもしなかった。」らしいのだ。
古茶樹の新芽・若葉はまだまだあって、鮮葉は毎日のように収穫されるので仕入れてお茶づくりができたのに、なにもせずにただボーっと他人のお茶になってゆくのを眺めていたらしい。
旬のいちばん良いタイミングを外しているのがわかるからだろう。
命の燃えるような輝きはほんの数日しか宿らない。その輝きを知ったら春の1ヶ月のほとんどの日はくすんで見える。
- 2018.04.28 Saturday
- プーアール茶2018年
- 10:15
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- by ふじもと